先日日経新聞に掲載されたこちらの記事を見て、ふと何年か前に気付いた事を思い出したので、それを忘れないうちに書いておきます。
この記事は要約すると「ネット上では日韓の間に悪いニュースが多いが、そういうものに振り回されず実際に韓国へ行って本当の姿を知ろう」という内容なのですが、そこへの突っ込みはまあ置いておくとして、今回のテーマはこの部分です。
ところが日本人旅行者は減りつづけているという。なんだかキライだから行かない。
そんな人が増えれば素顔の韓国は日本人の視界から消えて、 ますますキライが幅をきかせる悪循環である。
サッカーのワールドカップ共催や韓流ブームで日韓は長年のわだかまりをずいぶん解消した。
あの融和ムードを忘れてはなるまい。
この「ワールドカップ共催で~」というフレーズ、2002年のサッカーワールドカップ当時も良く聞かれ、初期のメディアによる韓流推しの頃もよく使われたのですが、実際にはこのイベントでの韓国人の非常識な行いに嫌悪感を感じ、嫌韓になった人が多数いました。
その経緯についてはこちらのサイトに詳しく書かれているので、知らない方はそこを読んでもらうとして。この「解消されたわだかまり」とは何なのかについてとなります。
実際にはこれを切っ掛けに嫌韓が増えたにも関わらず、メディアが融和ムードをごり押しするのは、当時メディアが韓流を広めたいからだろうという意見が多かったのですが、そこで当時私はそれだけではないのではないか、と考えました。
1950年代から90年代前半頃まで、日本のメディアの多くは親北反韓だったわけですが、それが韓国の民主化、従軍慰安婦問題の登場、北朝鮮による核問題と拉致問題発覚により、次第にメディアが韓国寄りへとシフトして行きました。
そして、2000年代にもまだ残っていた当時のわだかまりが、日韓共催ワールドカップによって解消されたというのが彼らの頭にあるために、こんな表現になっているのではないか、と考えたわけです。
つまり当時のメディアとそれに繋がる人々の中にあったイデオロギー的対立のわだかまりの解消です。
しかし、ワールドカップ以降に増えた嫌韓は、世代的にそもそもそういったイデオロギー対立とは無関係の、ほぼ韓国に関心の無い人達の中から発生しました。
嫌韓になった多くの人が、開催前までは「反日国なのだけれど、スポーツで友好できるならそれでいいのでは?」程度の認識だったのではないでしょうか。
イデオロギー的な対立構造ではなく、単純にワールドカップというイベントで起きた、韓国によるスポーツマンシップから逸脱した行為に嫌悪感を感じたわけです。
この認識の違いから来るギャップがメディア等の人々には理解できず、「せっかく(政治的・思想的な)対立が消えたのになぜ彼らは韓国を嫌うのか」と感じたのではないでしょうか。
イデオロギー上の対立の解消による「雪解け」を感じた人々と、スポーツイベントでの不正行為に対する「嫌悪感」を感じた人々、そもそもの出発点が違うのですから、話がかみ合うわけがありません。
これに限らず、双方が自身の感じた尺度で物事を解釈した結果が、一連のメディアによる「若者の右傾化」という結論なのではないのだろうかと、私は考えたわけです。
短いですが、以上ふと思い出したことを適当に書いてみました。