日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国の反日は李承晩が作り上げた



(画像は済州島事件により虐殺された島民の遺骨)
※遺体画像なので意図的に小さく表示させています。

本文を書く前にまず書いておかなければいけない事を。
今回、この内容を書くかどうかかなり悩みました。
韓国が反日の理由は非常に重要なテーマなのですが、李承晩と朴正煕という2人の大統領の行った政策や弾圧が非常に大きく関わっています。
そしてこれを説明する場合、韓国を批判するために北朝鮮北朝鮮を支持していた朝日新聞などの日本のメディアによるプロパガンダ要素の強い事件にも触れないといけないので、そこをどうバランスを取るかが悩みどころだったからです。

今回、その点を踏まえて読んでください。


韓国の反日には、大きく分けて3つの要素がある。
一つは自民族中心主義(エスノセントリズム)的要素の非常に強い朝鮮の小中華思想、二つ目は李承晩が行った弾圧への矛先そらしと、朴正煕が作り上げた国内のガス抜きとしての反日、三つ目は北朝鮮による分裂工作や政権叩きとしての親北派による反日がある。

小中華思想については今まで何度か取り上げたのでここでは省くとして、今回は韓国の反日を作り上げた李承晩について。

韓国初代大統領の李承晩という人物は、19世紀までの朝鮮の貴族であった両班の思想そのままの人物で、政治的手腕は素人同然だった。
アメリカによって韓国の統治者に選ばれたのは、英語ができた事と李朝の王位継承権者の一人だったからに過ぎない。
そのため韓国内に李承晩の施政に不満を持つものが多くいたこと、韓国内にも共産党員が多数存在した事、そして「日本の統治と李承晩の統治を比較し批判するもの」がいたことなどから、李承晩は国内不満分子の大弾圧を行った。

韓国の反日は、これ等不満分子や共産主義者への大弾圧から目をそらすために、李承晩によってつくられたのだ。

李承晩による弾圧の実例
済州島事件 1948年4月3~9月21日 
北朝鮮系の人民委員会が島民の間に大きな根を張っており、島内に共産主義の南労党員が6万人前後存在、島民の80%が南労党支持という状態だった。
1948年、李承晩が北朝鮮抜きによる南側単独での大統領選挙を発表、島内で激しい賛成反対の対立が発生。

これを切っ掛けとして4月3日深夜に旧日本軍の武器を手にした武装グループが蜂起、韓国軍が鎮圧を行ったが、その過程で済州島に400あった村のうち300が被害にあい、二万戸の家が火災で焼け、6万5千人が家を失った、とされている。
韓国政府の発表では「共産主義者の手により」1万5千人が死亡となっているが、実態は李承晩による共産党員の弾圧と共に、済州島という被差別地域への蔑視感情から島民の虐殺へと繋がったとされている。
推計では1957年までにこの事件に関連して8万人が殺害されたとも言われている。

麗水・順天反乱事件 1948年10月
北朝鮮系の南労党がおこなった韓国軍への工作により、済州島事件の鎮圧に向かっていた全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、隊内の南労党員が反乱を扇動、これに呼応した隊員が反対するものを殺害、部隊ぐるみの反乱が発生する。
反乱自体は1週間で鎮圧されたが、鎮圧までに反乱軍は人民裁判を行い400人以上の警官やその家族などを殺害した。
これに対して韓国の鎮圧軍は、順天町民5000人を順天北国民学校の校庭に集め人民裁判に積極的に参加した者を一級、消極的に参加した者を二級、曖昧な者を三級とし、反乱軍と一級をその場で棍棒で殴り殺した。
この事件により、政治思想とは関係ない一般人も含め8000人近くが殺害された。

国民補導連盟事件 1950年夏
李承晩は韓国建国後、韓国内の共産主義者や不満分子の大弾圧をおこなっていたが、思想矯正団体である「国民補導連盟」を組織し、これ所属すれば家族も含め全ての反逆行為を「許す」と宣言。不満分子や共産主義者とその家族を登録させたのだが、朝鮮戦争が始まると方針を一転、国民補導連盟に所属させた共産主義などの思想に関係ない人物までも危険分子として処刑するように命令した。
犠牲者の数は20万人とも、60万~120万人とも言われている。

国民防衛軍事件 1951年1月
国民防衛軍とは、韓国政府が国民防衛軍設置法に基き設立した民兵組織。
実体は、中国義勇軍朝鮮戦争に介入し戦況が悪化したため、戦える一般人を戦地へ残していくと敵の兵力に利用されると考えた韓国政府が、急遽編成した組織でしかなかった。
この時集められた兵士50万人を大邱釜山へ移送することになったのだが、防衛軍司令部の幹部達が移送のために用意された物資や資金を着服。
食糧、野営装備、軍服の不足のまま真冬の行軍を余儀なくされ、9万人以上が餓死や凍死で命を落とした。
この時着服された資金の一部が李承晩の政治資金に使われたことも後に発覚。

これが李承晩の行った事であり、朝鮮戦争後も李承晩は国内不満分子や政敵、共産主義者の弾圧や粛清、拷問を「北朝鮮のスパイ」や「日本のスパイ」という名目で続けていく事となる。
この時特に、朝鮮総督府出身の官僚や日本軍、満州国軍に所属していた軍人達が、共産主義者と同じく集中的に狙われた。
ここで厄介なのは、北朝鮮のスパイは実際に存在し、韓国内で工作活動を行っていた事だが、李承晩は明らかにそれを弾圧や恐怖政治の口実として利用していた。

だからこそ、李承晩は自らの独裁の正当性を訴えるために「いかに日本による統治が残酷だったか」「いかに自分達が日本の統治に抵抗したか」を宣伝する必要があったというわけだ。

これが韓国の国としての反日の出発点となる。
この後、朴正煕政権がこの反日を利用し、外交では親日、内政では反日という政策を取る事になるのだが。これが現在まで続く韓国の反日の直接的原因となり、実は韓国の抗日伝説や「輝かしい朝鮮の歴史」もこの頃に作られていく。
朴正煕は朴正煕で、ベトナム戦争による外貨特需や日韓基本条約締結による実質的な保証金により、漢江の奇跡という経済発展を成し遂げたが、それに伴い噴出した国内の不満を反日によってガス抜きしていたという事だ。


また、李承晩の行いについて厄介なのが、北朝鮮北朝鮮を支持する親北派の存在だ。
現在、李承晩の行ったこれら行為を追及し批判するのは、実質韓国内においてこの親北派しかいない。要するに、純粋に人権問題では無く北朝鮮によるプロパガンダの一環や政府批判の道具としてしか問題がクローズアップされていないという事だ。
結果韓国内ではこの問題が「北朝鮮による工作」とされタブー視されることが多く、まともな真相究明は殆ど行われていないと言うのが現実だ。

最近話題になっている韓国軍の慰安婦の問題や、ベトナムのライダイハン問題なども同じ事だ。問題の追求をしているのは左派の皮を被った親北派だけというのが現状で、朴正煕が関わった慰安所の問題やベトナム参戦に関しても、日韓基本条約における韓国側からの個人保証放棄も、朴正煕への親日派認定や朴槿恵大統領への批判材料以上の意味は無い。

また、日本国内においても「北朝鮮寄り」のメディアや政治家しかこの問題に触れようとしなかったため、プロパガンダ的要素が強すぎた。だからこそ、北朝鮮を利する形にしかならないという事情から、日本政府もこの問題をあまり深く韓国に追求する事が出来ない現実がある。

実際、済州島事件などは北朝鮮側にも十分過ぎるほど原因があるのだが、日本のメディアも含めこの問題に触れるメディアは殆どこの事について言及しようとしない。

最後に在日に関してなのだが、実は在日も李承晩による弾圧と無関係ではない。
以前も書いたように、在日の2割は済州島事件による弾圧から逃れてきた人々だ。また、同時期に韓国本土で起きた麗水・順天反乱事件での民間人虐殺から逃げてきた在日もかなりいる。
にも拘らず、彼らは真相を歪め「我々は日本により強制連行されて来た被害者だ」と嘘をついたのだ。

結果、誰一人として韓国の反日がどうして発生したのか、真相を知りながらまともに追求してこなかった、その歪みが現在北朝鮮によってむしろ韓国の反日が都合よく利用されるという事態にまでなってしまっている。


以上となります。
韓国の反日については色々と書いているところが多いですが、問題の根本的原因はここにあるでしょう。
問題が深刻で根深いだけに、仮に日本が現在の韓国の要求を全て呑んだとしても、韓国が反日でなくなることはないでしょう。