日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

日本の多文化主義と韓国人 その2

今回は前回予告したとおり、日本の多文化主義への疑問を、韓国人の歴史観を踏まえて書いてみます。
今回は以前書いた「日本の多文化主義と韓国人」の続きとなりますので、そちらも読んでいただけるとありがたいです。



(画像は埼玉県の高麗神社へ韓国人達が寄贈したトーテム、このトーテムはシベリアの少数民族に由来するもので古代に日本へ移民した高麗人とは時系列的に何の関係もない)

前回書いたように、韓国人の歴史観は歴史資料ではなく思想に基いている。
自分達が理想とする「かくあるべき」が彼らの歴史観と言っても言い過ぎでは無いのだが、日本で多文化主義を行う場合これが非常に問題となってくる。

現在、日本と韓国との間で文化交流行事などが行われているのだが、そこで紹介される韓国の文化や歴史が韓国人の自民族中心主義に基くものである事は以前も書いた。
つまり、多文化主義という大義名分を掲げながら、実体は韓国に言われるがまま、韓国人の民族主義を満足させる目的の場となってしまっているわけだ。

昨年の12月2日、NHKクローズアップ現代において「明らかになる古代の『日韓交流史』」という放送が行われたが、ここでも一見中立を装いながら、実質的に韓国人の自民族中心主義を肯定するような放送が行われていた。
放送では韓国の歴史観にも触れ、以前も書いた韓国人の「文化は水と同じように高いところから低いところへ流れる」という考えを古い考えであると否定はしていたが、実際には「先進的な朝鮮から未開な日本へ文化が伝わった」という大前提は崩していなかった。

しかもこの番組で取り上げられた韓国側の学説と日本側の学説、実はどちらも双方の国でとても主流とは言えない学説なのだ。
具体的な内容はリンク先を読んでもらうとして、韓国側の学者の説は現在の韓国では「日帝歴史観に染まっている」と否定されており、日本側の学者の説は「新羅百済が日本に服属していた事が記録された複数の史料」や「任那日本府」の存在がある事から、「無理がある」と支持されていない内容だ。

なぜこんな事が起きるのか。
要するにNHKは、韓国側の自民族中心主義を「古い考え」として日本人に印象操作を行い、かつ韓国側からクレームの来ないぎりぎりのところの「美味しいとこどり」をしようとした結果、こんな奇妙な事になり、それを「グローバル化」という言葉で誤魔化しているわけだ。
結果この番組は「現在の国家間で考えないでほしい」と繰り返し訴えてはいたが、実態はこの放送自体が非常に韓国人の自民族中心主義的歴史観に偏った政治的な内容であり、とても歴史番組とは言えないものとなっていた。
NHKが本当に「中立」を謳うならば、こんな奇妙な説を取り上げるのではなく、双方の国で主流となっている学説を堂々と取り上げるべきだったのだ。
それを見てどう感じるかは視聴者次第なのだから。

このように、韓国と文化交流や歴史交流をすると、必ず韓国人の自民族中心主義に「配慮」し「譲歩」する事を多かれ少なかれ日本側がしなければいけない事態となっている。
そんな事をしなければいけないこと事態が異常なのだが…

ここで、もう一度多文化主義とは何かという事を考えてほしい。
多文化主義では一つの国内に異なる文化を受け入れ「相互」に理解し配慮し共存する事を目標としているが、韓国との間ではこの「相互」が一切成り立たない。韓国人は相手に「要求」するだけだ。
そして何度か過去にも書いているが、韓国人は教育によって自民族中心主義に基く強固な「土台」を持っている。
NHKクローブアップ現代でも、配慮し譲歩しているのは事実上NHKだけだ、韓国側は結局のところ「劣った日本に文化を教えてやった」という自民族中心主義に基く大前提は捨てていない。

そもそも韓国人の民族主義に「配慮」することは多文化主義と呼べるのだろうか?
本来、多文化主義では民族主義や排外主義を否定するはずのものなのだが、日本の場合それが前提からして狂ってしまっている。
「受け入れる」とか「多文化との共生」という事ばかりが「ありき」になってしまっていているからこうなるのではないだろうか。

この状態で日本が移民を受け入れ多文化主義を実践したらどうなるだろうか。言うまでもない事だが、現状ですらこの有様であり、日本の多文化主義者達は韓国人の偏狭な民族主義の存在を知りながらそれを受け入れてしまっているのだから、より一層日韓の対立を深めるだけにしかならないだろう。
韓国人は日本人に韓民族中心主義を無条件に受け入れることを望んでいるのだから、当たり前だろう。

現在は、まだ交流の規模がそれほど大きくなく、韓国からの移民というのも在日韓国・朝鮮人を除けばそれほど多くもない、問題がないわけでもないが、問題そのものが地域的にも限られている。
その現状ですら彼らの民族主義が問題を引き起こし、そこから発生する韓国人や在日たちへの批判を全て一緒くたに右翼による「差別」とか「排外主義」とかレッテル貼りをして、現状存在する問題を見ようともせず、ただレッテル貼りをするばかりでまともな対策すらしていない。
それどころか多文化主義者達は、こういった「入ってくる側の民族主義」を「時間が解決する問題」と問題そのものの矮小化・先延ばしを行っている。

これが日本の多文化主義の現状だ。
欧州で起きている問題とは状況が違うが、根本の部分は変わらない、対立のおきる構図も変わらない。
そして現状、「入ってくる側の民族主義」を抑制するための解決策は何一つ存在していない。


以上となります。
個人的には、無条件の多文化主義は現状不可能というのが個人的な意見です。
日本人と韓国人は「違いすぎる」のです。
価値観が大きく異なるもの同士を無理矢理混ぜてもうまく行くわけがありません。もし多文化主義を行うのであれば、それは「お互いに価値観の違いを受け入れられるもの同士」のみに限定すべきでしょう。

価値観の大きく事なる者同士では混ぜても矛盾しか生まれません、それでも強引に「共生」を強行すれば、矛盾が生まれ結果的に片方が一方的に譲歩するという異常事態になるだけです。
価値観が大きく異なる者同士は「お互いに干渉しない」というのが、現状とれる最上の選択ではないでしょうか。
韓国政府が政策として行っている自民族中心主義は、多くの日本人にとって到底受け入れられるものではないのですから。

しかし、それを実際に行えば現実には明確に「差別」となります。
だから結局のところ「多文化主義は事実上不可能だ」ということです。