日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

日本の多文化主義と韓国人



(画像はWBCアメリカの球場のマウンドに勝手に太極旗を立てる韓国代表選手たち)

あけましておめでとう御座います。
今年もよろしくお願いします。

さて、今回ちょっとどんな内容をやろうか悩みました。
ネタはいくつもあるのですが、新年一回目に重い話題はどうなのか、軽めの話題のほうが良いんじゃないか、色々考えましたが、結局重めの話題をする事にしました。
理由はいくつかあるのですが、とりあえずどうぞ。

多文化主義・多文化共生と呼ばれる考え方がある。
同一国家内に異なる文化が存在した場合、少数派が多数派に飲み込まれ文化や伝統の維持が難しくなる場合があり、それを回避するために、少数派や弱者の文化を積極的に保護し、同じ国家内に異なる文化圏を形成する事で多数派と対等に扱おうというのがこの多文化主義の考え方だ。
そして現在では、この考え方が移民政策や地域や国家を越えて様々な事をして行こうという、所謂「グローバル化」と結びつき、移民として受け入れた人々の元の文化や伝統を移民先でもそのまま受け入れ、国内に別の文化圏を作ろうという思想や政策として存在している。

この考え方はたしかに素晴らしい、異なる文化圏や異なる宗教・民族・人種が手を取り合い、境界や価値観の相違を越えてお互いを認め合い文化や伝統を尊重して同じ共同体内で生きていく、まさに理想的な社会だ。
しかし、それはあくまで理想論、机上論でしかない。
そもそもこの多文化主義には大きな問題が存在している、それはそもそもこの多文化主義とは、異なる価値観双方が無償の善意を前提とした場合しか成り立たないシステムだという事だ。
双方のどちらかの側でこの大前提がなければそれでシステムは破綻してしまう。

多文化主義者達は、その原因を「受け入れる側」にあると考え、移民の労働者が入ることで職を失うと感じる低所得者や、古い伝統を捨てきれない民族主義者が、新しい考えである多文化主義を受け入れず移民を攻撃するからだと結論付け、多文化主義に批判的な人々を批判してきた。
しかし、問題はそう単純ではない。
実は多文化主義を受け入れた国家で最も問題となっているのは、「入ってくる側の民族主義や排他性」なのだ。

韓国の例を出す前に、多文化主義を実際に取り入れている欧州の事例をいくつか紹介する。
ブリュッセルシーア派モスク放火
http://japanese.ruvr.ru/2012_03_13/68296743/
ベルギーの首都ブリュッセルで、この国にあるイスラムシーア派寺院としては最大のものの一つ「リダ」モスクが放火され、イマーム(導師)一人が死亡、さらに一人が負傷した。 イタル・タス通信が伝えた。

多くの目撃証言によれば、放火犯人は少なくとも3人。そのうちの一人はシリア情勢に言及し、シーア派に反対するスローガンを叫んでいた。別の一人は、斧とガソリン缶を持って寺院内部に入り、窓を割りガソリンを撒いて火をつけた。そして三人目は、寺院内に火炎瓶を投げ込んだという。

容疑者の一人は、現場で逮捕された。「リダ」モスク周辺には、人々が集まり始めており、ベルギー警察は、自然発生的に騒乱事件が発生するのを警戒している。
見ての通りベルギー人との対立という話ではない、移民同士が移民もとの政治問題や宗教問題を持ち込み殺し合いを始めたのだ。
そしてもう一つ
ケニアのモール襲撃事件にノルウェー人が関与か
http://www.cnn.co.jp/world/35038715.html

ケニア・ナイロビ(CNN) ケニアの首都ナイロビで先月起きたショッピングモール襲撃事件で、ケニアのテロ対策班はソマリア出身のノルウェー人の男が事件に関与した疑いがあるとして行方を追っていることが情報筋の話から明らかになった。

このノルウェー人は、ソマリアに拠点を置くテロ組織シャバブの最も危険な指揮官の1人とされるアブディカディア・モハメド(通称イクリマ)容疑者とつながりがあると見られる。

ケニアの情報筋によると、現在ノルウェーの諜報員がケニアでイクリマ容疑者とこのノルウェー人の男の捜査を行っているという。ノルウェー当局は、このノルウェー人の男の氏名は明らかにしていない。

67名が死亡したこの事件では、ノルウェーに移民しノルウェー国籍を習得したソマリア人が関与して起こされていた。

このように、「入ってくる側の民族主義や排他性」に全く注意を向けなかった結果、先住側と移民側の対立ではなく、移民同士の対立や移民先からのテロの輸出などという問題が発生してきているのだ。
この2つの事例は特に極端な例ではあるが、これ以外にも移民元の伝統により「許婚」として親によって移民もとの国へと送られていく女児達の問題や、女性蔑視の習慣からくるレイプ事件、現地に全く交わろうとせず、むしろ現地の元からある文化を否定し自分たちの文化や伝統を強要する移民、同じ出身国や民族同士て集まりギャング化してしまう移民の事例などが多数存在し、『その結果』先住側と移民側の対立が発生するという事態になっている。

こうした問題が多発した結果、オランダは多文化主義そのものを捨て、それ以外のいくつかの国でも多文化主義の見直しが進んでおり、いくつかの国の首相が「政策としての多文化主義の失敗」を公式声明で発表している状態だ。
当然の事だが、欧州における多文化主義批判も現在は「入ってくる側の問題」が大勢を占めている。


さて、ここからやっと韓国の問題に移る。
以前「韓国は『反日』だから問題なのか?そのあたりを解説してみる」で書いたように、韓国は非常に極端な民族主義的傾向を持ち、異文化や異民族・異人種を蔑視する自民族中心主義教育を政府が子供たちに行っている国だ。
当たり前の事だが多文化主義とは明らかに相性が悪い。しかし、日本では欧州の事例が存在するのだから最も問題視しないといけない韓国の民族主義や排他性を、とうの多文化主義者達が一切考慮していない。
むしろそんなものは存在しないかのように振舞っている。

その結果多文化主義とは名ばかりの、韓国人の考える「民族主義的な正しい歴史」が無批判に反映され、共存どころか一方的に韓国人の主張がまかり通るという事例が多発するようになってきている。
一例を挙げると「四天王寺ワッソ」という大阪で開かれている祭りの事例があるだろう。
この祭りでは、日本語の「ワッショイ」は朝鮮語の「ワッソ(来た)」が語源であるとか、古代朝鮮人が日本に文明を持ち込んだとする前提で「(朝鮮人が)来た」と喜んだとする説が元となっているが、言うまでもなくこれは典型的な「韓国起源説」であり、学術的根拠などは何もない。

そもそも朝鮮には12世紀に書かれた三国史記以前の記録が殆どなく、古代朝鮮人がどんな言葉を使っていたのかすらわかっていないのだから、ワッショイの語源だとかワッソと言って日本人が喜んだだとか、そんな事がわかるわけがない。
何より現実には、ワッソという朝鮮語自体、実は18世紀か19世紀頃までしか遡れない言葉だ。

更にもう一つ、四天王寺ワッソを始、最近いくつかの自治体で朝鮮通信士を再現したイベントが行われているが、これも実は問題で、「朝鮮通信使は未開な倭人に先進文化を教えるためにやってきた文化使節団」という、韓国の民族主義史観を元にしており、多文化主義的文化交流どころか、単なる韓国側による自民族中心主義的歴史観プロパガンダの場となっている。



(画像は鶏を盗んで町人と喧嘩をする朝鮮通信士)
元々朝鮮通信士とは、典型的な日本への朝貢使節団でしかなく、「文化を伝えた」などという記録は全く存在していない。
むしろ、第11次朝鮮通信使節(1763~1764年)の一員だった金仁謙の日本紀行文「日東壮遊歌」に書かれているように、日本の町並みの豪華さや清潔さ、発展度合いに驚き嫉妬する様子が書かれた物まであるほどで、韓国人の望む通信士の姿と現実は大きく異なる。

また、当初は「(清国に近いから)本場の儒教朱子学が学べる」と期待して歓待した儒学者たちも、あまりにも無知で礼儀を知らない通信士一行に閉口し、当初は200人近くが集まっていた日本の儒学者たちが後半には殆どいなくなってしまった事も記録されている。
儒学者たちによる通信士への認識は、当時幕府の儒学の中心人物だった朱子学者「新井白石」の残した記録が最もわかりやすいだろう。
新井白石 『国書復号記事』
夫朝鮮 狡黠多詐 利之所在 不顧信義 蓋穢貊之俗 天性固然
(現代語訳)
朝鮮人というのは狡くて人を騙す、利があれば信義など顧り見ない人々である。 しょせん「穢貊-わいばく」な野蛮人だ、こうした性格はうまれ持った天性である。
韓国人たちが望む理想とは違い、現実はこんなものなのだ。


そして最後に在日韓国・朝鮮人の問題だ。
まず始めに、在日批判といえば在特会が有名だが、主張の内容がどうであれ罵声を浴びせながら通行人を威嚇し練り歩くあの行動を、とてもではないが容認する事は出来ない。
あれでは一見すると多文化主義者たちの言うところの「多文化主義を受け入れられない民族主義者」というステレオタイプそのものにしか見えないだろう、あんな事をしていてはメリットよりもデメリットのほうが大きい。

では、批判されている当の在日達はどうか、実は殆ど話題にも上がらないが、在日韓国・朝鮮人達は日本でも有数の「入ってくる側の民族主義者」なのだ。
先ほど挙げた四天王寺ワッソや朝鮮通信士イベントにも、在日達は非常に深く関わりをもっており、一時期資金難で開催困難となった四天王寺ワッソに資金援助し復活させたのも在日たちだ。また、韓国起源説の一つである「茶道朝鮮起源説」の元を作ったのも在日たちだ。彼らは自らの民族主義を振りかざし、批判する側には差別主義者や右翼のレッテル貼りをしている有様で、自浄作用も何も無い。

そして更に問題なのが、在日や日本の多文化主義者たちは「入ってくる側の民族主義や排他性」から発生する批判を、全て「低所得者民族主義的右翼による排外主義」或いは「発展著しい韓国への嫉妬」と定義し、現実を無視してあたかも在特会のような批判が全てであるかのように、メディアを使い宣伝しているのだ。
前提は異なるが、欧州で起きた「移民側と先住側の対立原因」の構図と非常に良く似た構造が出来つつある。

違うのは、日本の主要な多文化主義者やメディアの中から「入ってくる側の問題点」に言及するものが誰一人現れないことだろう。
多文化主義の問題点に少なからず注目し始めた欧州各国とはここが大きく異なる。
そもそも、問題の本質的原因である「在日や韓国人の民族主義や自民族中心主義」を無視する日本の多文化主義者たちは、本当の意味での多文化主義ではないし、韓国人や在日たちがやろうとしていのは共生ではない、これではただの寄生でしかない。
少なくとも、今の日本で多文化主義などこれでは絵空事でしかないだろう。

最後に、実はこの韓国人の民族主義は日本だけの問題ではなく、韓国人の移民した先でどこでも起きている問題だ、多文化主義が比較的上手く行っている(とされている)、移民国家アメリカの事例を紹介して終わりとします。
コナスネット(韓国語) 韓国人'の世界化先導...米大統領当選も
http://www.konas.net/article/article.asp?idx=27806
パク・サンウォン米州韓人財団総会長「韓人は地球村のどこに住んでも、国籍がどこでも韓人」
(長いので前略)
それと共に「韓人は地球村のどこに住んでも国籍がどこでも韓人」としながら「該当国家民族との結婚等を通して彼らの家族までも韓人化して韓国文化を理解させ、彼らを通じて私たちの精神を移植しなければならない。(私たちの文化と伝統を)知らせずには次世代に続くことはできない」と各人種間の多様な交流、文化伝播等を通して韓民族の地平を広げていかなければならないことを強調した。
(後略)