日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

【マスコミ問題】毎日新聞転落の始まりと最近の大量BAN問題


本日は毎日新聞が転落していく契機となった「ネット君臨」騒動についてとなります。

元記事
2007年、毎日新聞転落の遠因となった記事「ネット君臨」





youtube
https://youtu.be/CnvX_S5oUCQ


以下は動画のテキスト版になります。

注意
・この動画は「マスコミ問題」を扱っています

・「マスコミ問題」ですので、イデオロギーや属性等は一切関係ありません

・「特定の国との特別な関係」は問題の枝葉です、主問題は業界の体質です

・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たらど
う思うか」という客観性を常に持ちましょう。

・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください

・キャラ崩壊あり

・動画の拙い部分は生暖かく見守ってください、そのうちなんとかします


レイム マリサ
ゆっくりしていってね


マリサ
さて、本日はマスコミ問題なので私が解説していくぜ。


レイム
今回の件って、例の有名な毎日新聞waiwai問題の件?


マリサ
違うぜ。
その件もこの時期に既に一部で問題にはされていたんだが、今回の件は別件になるぜ。


レイム
そうなの?なんか毎日新聞というとwaiwaiの件から転落して行ったって印象しかないけど。


マリサ
実際には2007年元旦の記事でネットユーザーの不特定多数に無差別に喧嘩を売る記事を書いてな、それで炎上して実はwaiwaiの件はそれがあったからこそ余計に叩かれたって背景があるんだぜ。


レイム
あー…、それで今回の件が「始まり」なわけね。


マリサ
そういうことだぜ。
それじゃあ本編へ行くぜ。


問題の切っ掛け


マリサ
実はこの件ってちょっと複雑でな、問題そのものは2007年1月1日から毎日新聞がでかでかと長期特集を組み始めた「ネット君臨」って記事なんだが、それを説明するには前年9月に発生した「さくらちゃん募金騒動」というのを説明しないといけないんだ。


レイム
原因の原因の説明ってこと?
なんか複雑ね。


マリサ
まあそうなんだが、これ説明しておかないと今回の事例は意味不明になってしまうからな。


マリサ
それでな、2006年9月に上田という夫婦が自身の子供の心臓病治療に高額の医療費がかかるという事で、募金活動を始めたんだがこの上田夫婦の素性が問題でな、募金開始当初から一部で問題になっていたそうなんだ。


レイム
何が問題だったの?


マリサ
この辺りはまとめサイトがあるので、詳しく知りたい人はこの動画のテキスト版のブロマガ記事のほうにリンクを貼っておくので読んでほしいんだが、2人ともNHKの職員でしかも結構な役職持ちだったんだぜ。


さくらちゃんを救う会 検証 さくらちゃんを救う会とは
https://www18.atwiki.jp/sinusinu/pages/22.html


マリサ
これ本格的に扱うと動画がそれだけで終わってしまうので、問題の要点のみ抜き出すとな。

・募金公式ブログ上の親によるあいさつ文が前回の別の人物のあいさつ文からほぼコピペ

・夫は婿養子で妻の姓(上田)を名乗っていたが、仕事では旧姓の「高橋」を名乗っており、しかも募金告知でテレビ朝日出演時はNHK職員とは名乗らず「団体職員」と名乗っていた。

・夫はエグゼクティブプロデューサー(部長相当)妻はディレクター(課長相当)、NHKの当時の平均年収は1200万前後で、2人とも明らかに平均年収以上の収入あり。

・1億3千600万の募金目標を掲げたが自腹一切無し、その後批判されるとNHKの共済基金から3000万を出していると表明(後付け)。

・募金活動の3年前に土地と持ち家をローン4000万円で購入(同じ町内の同じ60坪の土地価格が1億3千万)

・募金を主催したトリオ・ジャパンの不明瞭な資金運用や活動実態が次々と発覚。

・批判を受けると同業のマスコミが「問題とされている部分を隠して」一斉援護、マスコミ報道ではネットが一方的に悪者に。

・トリオ・ジャパンのブログで夫婦の住所が「正式に」公開されていたにも関わらず、あたかもネットの批判者達が住所を探し出してさらし者にしたかのように主張し、マスコミも一斉にそう報道。


レイム
…え?、なにこれ。
これ典型的な「事後対応の悪さが炎上に繋がった」事例じゃないの。


マリサ
そうだぜ、ここでは細かい疑惑や問題点は省いているが、「批判された後で」マスコミ各社がこぞって「ネットの批判側が悪」「夫婦は被害者」と報じたことが炎上を加速させたんだぜ。


マリサ
特に自分達で自宅の住所を公開しておいて、「ネット上の匿名の何者かに住所を晒された」と繰り返しマスコミを通じて訴えた件は、マスコミ側の姿勢も含め相当な批判を受けていたからな。


レイム
これっていつもの「結論ありきの報道」をマスコミがやっていたって事よね。


マリサ
そうだぜ。
んでな、炎上が続く中2ちゃんねるでも古参のコテハンである「がんだるふ氏」が、このトリオ・ジャパンの運営に直接会って対話をする事態になったんだが、


2ちゃんねらー救う会が初の「対話」
J-CAST 2006/10/16
https://www.j-cast.com/2006/10/16003398.html

重い心臓病のため、米国での移植手術を希望している東京都三鷹市の上田さくらちゃん(4)を支援する「さくらちゃんを救う会」に対するネット上の批判が止まらない。「救う会」広報担当者のmixi(ミクシィ)日記にも、説明を求める声が殺到、そのせいもあって2ちゃんねらーと「救う会」幹部との直接面談が行われた。

今回、「救う会」への面談を申し込んだのは、2ちゃんねるの前身である匿名掲示板「あめぞう(98年開設)」時代から掲示板への書き込みを行ってきた、「がんだるふ」さんだ。がんだるふさんは、臓器移植や、それにともなう募金活動の問題点を指摘し続けてきた。今回の「さくらちゃん」の件でも、mixi上で増殖する募金要請の書き込みに対して、「救う会」の活動のあり方に疑問を投げかける書き込みを大量に行う「絨毯爆撃」をしたり、「救う会」の広報担当者のmixi日記に同様のコメントを書き込むなどした。
双方の受け止めに大きな「温度差」

広報担当者の質問に対する返答が遅れ気味だったことに、がんだるふさんが「これではラチがあかない」と、直接の対話を申し込んだ。

「対話」は、2006年10月15日、吉祥寺の2階建てアパートの1室にある「救う会」の事務所で行われた。参加者は、がんだるふさん、「救う会」代表の永田浩三さん、事務局広報担当の筧誠一郎さんの3人。ちゃぶ台を囲んで2時間半に渡って対話が行われ、J-CASTニュース記者も取材させてもらった。

対話の多くの部分が、がんだるふさんによる、「ネット上で何が『救う会』の問題点として指摘、非難されているのか」の説明に費やされた。また、がんだるふさんと「救う会」の間の、ネットに、特に匿名掲示板に対する大きな「温度差」も浮き彫りになった。例えば、がんだるふさんは

「ネットでは様々な意見がでるが、間違った書き込みには『それは違う』という別の書き込みが行われ、『自浄作用』のようなものが働く。多少荒れても、実害はない」

と主張するが、救う会の側は、そうは思っていないようだ。例えば筧さんは、

「『早く死ねばいいじゃん』と書かれたメールが届いた時は、どーんとへこみました。相当心が痛みます。ネット社会に耐性がない人間にとっては、仕事する気がなくなるくらいダメージを受けるものです」
「携帯の番号がネット上にさらされて、電話がくると、怖くて取れません」

などと語る。

また、ネット上で指摘されている事に対する「救う会」の対応が後手後手に回っていることが、騒動が沈静化しない一因といえそうだ。例えば、さくらちゃんの両親がNHKの職員であることや、父親が職場では旧姓を使用していたことが「隠蔽」として批判が加速したことについて、永田さんは

「(さくらちゃんの両親が)NHK職員だということを隠したことはありませんし、地域では戸籍名で通っていたので、会見でも使ったのです。でも、会見では、NHKでは(戸籍名ではなく)旧姓を名乗っています、と言えば良かったです」

と話すが、これに対しても、がんだるふさんは

「この件についての説明がウェブサイトに掲載されるまで、(ネット上で批判の声が上がってから)1週間近くかかりました。このタイムラグが、ネットの社会では非常に痛いんです」

と、救う会のネット社会への不慣れさを指摘する。

https://www.j-cast.com/2006/10/16003398.html?p=2

剰余金はトリオジャパンに引き渡されることはない

その他の、ネット上で指摘されている「疑惑」についてはどうなのだろうか。

救う会」に「不測の事態に備えて、剰余金は基金がそのまま管理する」ようにアドバイスしている、国際移植組織「トリオジャパン」に対して、ネット上では「剰余金がトリオジャパンに渡り、不透明な管理がなされるのではないか」という指摘が相次いでいる。特に同団体は、週刊女性(10月24日号)の取材に対し、

「難病の子供を抱えた親を温かい目で見て、お金の面でシビアに追求しないでほしい。受託した資金の使途は患者さんの支援や啓発活動に使っていますが、明細は公開できません。このままの状態で、活動を続けることを望んでいます」

と「不透明な管理」を続ける趣旨の発言を行い、火に油を注ぐ形になっている。このような状況の中、永田さんは

「7月以降トリオに色々なアドバイスをいただいていますが、情報の提供をしていただいている、ということです。こちらから何かを支払ったことは一度もありませんし、今後もありません。これは、お約束します。さくらちゃんのためにいただいているお金ですので、それ以外には使えないお金です」

と、剰余金はトリオジャパンに引き渡されることはないことを言明した。

ただ、ネット上では注目されていた、さくらちゃんの両親の家の資産価値については、「公開したところで、『それを売れよ』という動きが加速するのではないか」として、「対話」の中では明らかにされなかった。

救う会」への募金は、10月16日集計分で1億1,496万9,110円に達している。


マリサ
要するにがんだるふ氏はネット上で何が問題になっているのかの説明をし、トリオ運営側はネット上の心無い中傷を問題とし、全く主張が噛み合わなかった事を同席したJ-CASTの記者が指摘しているな。


レイム
ちょっとまって、トリオ側は「携帯の番号がネット上にさらされて、電話がくると、怖くて取れません」 となっているけど、これ公開していなかったの?


マリサ
してたぜ。


レイム
うわぁ…
これじゃ会話のドッジボールね。


マリサ
んでだ、こういうやり取りがあって、今回の本題である2007年元旦の毎日新聞の記事に繋がるわけだ。



ネット君臨


マリサ
それでな、がんだるふ氏が色々とリアルで問題提起をして動いてくれて、そのお陰でオープンになってきた部分もあったんだが、そんな中で毎日新聞ががんだるふ氏に取材を申し込んだんだ。


マリサ
そしてそのインタビュー結果を元に書かれた記事が書籍にもなった「ネット君臨」という記事で、これが毎日新聞が転落していく原因になったんだぜ。

ネット君臨:第1部・失われていくもの/1(その1)
毎日新聞 2007年1月1日(月曜日)
https://megalodon.jp/2013-1130-2130-58/https://my-mai.mainichi.co.jp:443/mymai/modules/itsociety7/index.php?p=9

掲載記事(1月1日1面)難病児募金あざける「祭り」

◇「また死ぬ死ぬ詐欺ですかw」「NHKキタ―――(゜∀゜)―――!!!!」…2ちゃんねる上、匿名攻撃
 ◇両親「裸で歩くよう」
 臓器提供者はまだ見つからない。4歳のクリスマスは、米カリフォルニア州の大学病院に近いアパートで迎えた。ネコのぬいぐるみをプレゼントされ「ネコちゃんが来たよ」とはしゃいだ。
 難病の拘束型心筋症と診断された東京都三鷹市の上田さくらちゃんが助かるには、海外で心臓移植を受けるしかない。1億円を超える手術費用は募金に支えられている。
 新聞各紙に「さくらちゃんを救う会」の募金活動の記事が掲載された昨年9月22日朝。インターネット掲示板2ちゃんねる(2ch)」に家族を中傷する匿名の書き込みが始まる。「また死ぬ死ぬ詐欺ですかw」。「w」は笑いの意味だ。移植の募金はこれまでも「会計が不透明」と批判されてきた。
 NHK勤務の父昌広さん(54)と母和子さん(45)が記者会見で職業を「団体職員」と公表したことも災いした。後でNHKと答えたが、手遅れだった。「NHKキタ―――(゜∀゜)―――!!!!」と顔文字を付け、はやし立てる。「高給取りを隠して同情を買おうなんて詐欺だな」
 両親が借金などでねん出した3000万円の自己負担を公表しても攻撃はやまない。ローンが残る住宅しかないのに「十数億円の資産がある大地主」と虚偽の情報が書き込まれた。自宅の登記簿や写真もネット上にさらされた。「だまされて募金したので返してほしい」。救う会にはメールや電話が続いた。
 「裸で歩いているような恐ろしさ。眠れない時もありました」。和子さんは家の前で携帯電話のカメラを構えた人影を忘れられない。「親ですから娘が救われるのなら構いません。でも支えてくれる人たちが疲れていくのを見るとつらい」。目が潤んでいた。
   @   @
 年の瀬の東京・渋谷。記者はネット上のハンドルネーム(HN)「がんだるふ」を名乗る男に会った。元大手フィルムメーカー社員。今はイベントプロデューサーという。58歳。募金批判の中心人物だ。
 ――募金を払わなければいいだけなのに、なぜ攻撃するのか。
 ◆臓器移植問題は深いのに「かわいそう」で思考停止になっている。募金は物ごいと一緒だ。
 ――書き込みには中傷や誤報がある。
 ◆ネット上の罵詈(ばり)雑言はノイズ。被害と感じるのは弱いからだ。
 ――匿名での攻撃はアンフェアでは。
 ◆名前は記号。本質は書いた内容にある。
 ――実名でも書ける?
 ◆それは書けます。
 ――実名記事にしたいが。
 ◆載せないでほしい。「がんだるふ」というネット上の人格でやってきたから。
   @   @
 さくらちゃん一家が渡米する2日前の12月9日夜。新宿の居酒屋で20~30代が中心の男女約100人が忘年会を開いた。全員が2chの利用者・2ちゃんねらーだ。募集の掲示板に記者もHNで登録し、参加した。互いをHNで呼び合う。「どこにいる?」という質問は住所ではなく、よく書き込む掲示板のことだ。
 一連の書き込みをどう見ていたのか、何人かに尋ねた。「あの募金はおかしい」「家を売ればいい」。掲示板の中傷に疑問を感じてはいない。
 ネットでは住人たちが一つの話題に群がり、ときに「悪意」が燃えさかる。彼らはそれを「祭り」と呼ぶ。
   ×   ×
 インターネットの利用者は国内で8000万人を超える。便利さや効率をもたらす一方、私たちはネットに依存するあまり、いつの間にか支配され、何かをなくしてはいないだろうか。ネット社会をどう築けばいいのか、まず第1部は身近な現場から報告する。(2面につづく)


マリサ
記事を読んでもらうと解るが、そもそも問題の主体は「面白半分の煽り」ではなく、募金をするにも関わらずあまりにも情報が不透明で限定的なこと、事後対応が滅茶苦茶である事などが挙げられていたのに、その部分にまったく触れていないだろ?


レイム
というか、NHK職員であることだけしか書いていないで、あおりの「高給取りを隠して同情を買おうなんて詐欺だな」のみ抽出するとかアンフェア過ぎない?


レイム
ほかに気になるところとして『「裸で歩いているような恐ろしさ。眠れない時もありました」。和子さんは家の前で携帯電話のカメラを構えた人影を忘れられない。』これ住所の件よね?


マリサ
そうだぜ。
この夫婦もマスコミも、一貫して「自分達で住所を公開していたこと」を隠し続けていたからな。
んで次ががんだるふ氏へのインタビューに言及した部分なんだが

ネット君臨:第1部・失われていくもの/1(その1)
毎日新聞 2007年1月1日(月曜日)

(一部抜粋)
 年の瀬の東京・渋谷。記者はネット上のハンドルネーム(HN)「がんだるふ」を名乗る男に会った。元大手フィルムメーカー社員。今はイベントプロデューサーという。58歳。募金批判の中心人物だ。
 ――募金を払わなければいいだけなのに、なぜ攻撃するのか。
 ◆臓器移植問題は深いのに「かわいそう」で思考停止になっている。募金は物ごいと一緒だ。
 ――書き込みには中傷や誤報がある。
 ◆ネット上の罵詈(ばり)雑言はノイズ。被害と感じるのは弱いからだ。
 ――匿名での攻撃はアンフェアでは。
 ◆名前は記号。本質は書いた内容にある。
 ――実名でも書ける?
 ◆それは書けます。
 ――実名記事にしたいが。
 ◆載せないでほしい。「がんだるふ」というネット上の人格でやってきたから。


マリサ
これな、後で説明するけどいわゆる取材詐欺なんだぜ。


レイム
取材詐欺って?


マリサ
TBS初音ミク事件の件で色々紹介しただろ?
煽ったり特定部分を抽出して別の印象を与える内容にしたり、そうやって結論ありきの方向へ取材相手を誘導したり、元々の取材意図をちゃんと教えずに取材したりする例のアレだぜ。


レイム
あ…、あれね…。
これって何か発覚する事件があったの?


マリサ
長い記事なので一部しか紹介できないが、以前も名前が出てきた元毎日新聞記者でフリージャーナリストの佐々木氏がこの件の真相を調査していて、がんだるふ氏と毎日側双方に取材をしているんだぜ。


レイム
毎日新聞記者でしょ?信用できるの?


マリサ
恐らくな。
記事は中立的だし、実は別件でうp主が佐々木氏本人に「信用できる人物かどうか」をさりげなく調べるメールをしててな、返ってきた回答から喋れない事はあっても結論ありきで「マスコミ的」な記事を書く人ではないと判断したんだぜ。
「身内びいき」な気質は多少あったけどな。


レイム
なるほどね。
でもあくまで主観による判断だから過信しちゃダメよね。
で、本題の記事は?


マリサ
これだぜ。

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題
CNET Japan 2007年01月25日
https://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/01/25/entry_post_10/

少し古い話になるが、毎日新聞が元旦の紙面で「ネット君臨」という年間企画連載をスタートさせた。この連載をめぐって、ネットの世界からは激しい批判が巻き起こったのは記憶に新しい。

 私もこの連載を通して読んでさまざまな感想を抱いたが、その感想についてはとりあえず別の機会に書いてみたいと思う。ここでは、「ネット君臨」がもたらした「取材」という行為の正当性と可視化についての問題について、少し考えてみたい。「ネット君臨」における取材行為は、その問題を考えるための格好のケーススタディになっているように思われたからだ。そこで記録として、若干の取材結果も踏まえてこのブログにその経緯を記しておこうと思う。なお最初に記しておくが、この経緯はあくまでもがんだるふ氏の側から見た一連の経緯であって、毎日新聞サイドには現時点では私は取材していない。したがってエントリーの内容が、かなりがんだるふ氏に拠っていることをお許しいただきたい。毎日新聞サイドがこの件をどう見ているのかについては、いずれ日を改めてアップロードしたいと思っている。

 さて、「ネット君臨」の第一回のテーマは、昨年秋にネット界隈で話題になった「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれる件だった。今さらではあるが簡単に説明しておけば、難病(拘束型心筋症)にかかっている上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植を希望しており、この費用(約一億三六〇〇万円)を賄うために「さくらちゃんを救う会」が有志によって結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。

 だがこの件に関して、主にインターネット上でさまざまな異議が唱えられた。まず第一に、両親がともにNHKの職員であって高給を得ているうえ、東京近郊に土地と建物を所有していることが当初の段階では伏せられていたということ。そしてこの募金活動をコーディネートしているトリオ・ジャパンという非営利組織の運営が不透明であり、過去に行われた同様の臓器移植募金に関して、余剰金などがどう処理されたのかがまったく情報公開されていないということ。こうした情報公開を行わずに募金を行い、しかもそこで集められた浄財の行方が明確にされていないというのは、「死ぬ死ぬ」と騒いで金を集める一種の詐欺行為ではないか−−というのが、批判者たちの主張だった。
レトリックで取材対象を批判する手法

 毎日新聞はこの件を取り上げ、次のように書いた。

 NHK勤務の父昌広さん(54)と母和子さん(45)が記者会見で職業を「団体職員」と公表したことも災いした。後でNHKと答えたが、手遅れだった。「NHKキタ−−−(゜∀゜)−−−!!!!」と顔文字を付け、はやし立てる。「高給取りを隠して同情を買おうなんて詐欺だな」

 両親が借金などでねん出した3000万円の自己負担を公表しても攻撃はやまない。ローンが残る住宅しかないのに「十数億円の資産がある大地主」と虚偽の情報が書き込まれた。自宅の登記簿や写真もネット上にさらされた。「だまされて募金したので返してほしい」。救う会にはメールや電話が続いた。

 「裸で歩いているような恐ろしさ。眠れない時もありました」。和子さんは家の前で携帯電話のカメラを構えた人影を忘れられない。「親ですから娘が救われるのなら構いません。でも支えてくれる人たちが疲れていくのを見るとつらい」。目が潤んでいた。

 さらに記事の最後には、「年の瀬の東京・渋谷。記者はネット上のハンドルネーム(HN)『がんだるふ』を名乗る男に会った。元大手フィルムメーカー社員。今はイベントプロデューサーという。58歳。募金批判の中心人物だ」というくだりがある。そして「がんだるふ」氏との次のような一問一答が掲載されている。

−−募金を払わなければいいだけなのに、なぜ攻撃するのか。

 「臓器移植問題は深いのに『かわいそう』で思考停止になっている。募金は物ごいと一緒だ」

 −−書き込みには中傷や誤報がある。

 「ネット上の罵詈(ばり)雑言はノイズ。被害と感じるのは弱いからだ」

 −−匿名での攻撃はアンフェアでは。

 「名前は記号。本質は書いた内容にある」

 −−実名でも書ける?

 「それは書けます」

 −−実名記事にしたいが。

 「載せないでほしい。『がんだるふ』というネット上の人格でやってきたから」

 一読して、悪意のある表現であるのが分かる。そもそも新聞で匿名の人物を描く際、「男性」ではなく「男」と表現するのは、その対象者が犯罪者かもしくはそれに準じるような反社会的人物であると新聞側が判断した場合に限られている。つまり毎日新聞は「がんだるふ」氏を、反社会的人物であると判断したということだ。とはいえ、一問一答の中身自体は決してがんだるふ氏を批判しているわけではない。このあたりのレトリックは新聞記者が好んで使うもので、一見公平に見えながらも、実は意図をその文脈の裏側に忍ばせるという手法だ。

 この記事は毎日新聞のウェブサイトにも転載され、さらに同紙の会員制サイト「まいまいクラブ」に取材班の特設ブログも設置された。そしてこのブログのコメント欄に、がんだるふ氏は抗議のコメントを寄せた。次のような内容である。

 取材を受けたものでございます。

 ここまで、恣意的に発言を処理されるとは思いませんでした。

 少なくとも、さくらちゃんの場合は、臓器移植に関わる本質的な問題点と、不透明な募金方法にたいしネット上の注目があつまりました。それを、お涙頂戴的な同情視点にたち、問題の本質をすり替えたネット批判しかない記事のまとめ方にはがっかりしました。

取材時に、写真撮影と実名提示したいと求められましたが、お断りして本当に良かったと存じます。あのような恣意的記事の処理では、「ネット上の悪人の見本」としてさらし者になるに過ぎませんからね。そして、意図して、あのような記事のまとめ方をして実像をさらすというのは、報道の暴力にほかならないと考えます。そこら辺は、報道に携わるものとして、深く反省する必要がありませんか?

 > I記者、T記者 さん。

充分に紙面を用意頂き、こちらの論旨を充分に記載していただけるなら、実名、顔いりでの再取材に応じる用意はあります。寸秒を争う報道記事ならいざしらず、充分な時間余裕のある特集記事なら、掲載日時、および、掲載紙の送付は礼儀だと存じますが?

ま、「それは、新聞社の常識ではない」と言われればそれまでですが。

いったいどのような取材が行われたのか

 この取材はいったいどのように行われ、どのように紙面化されたのだろうか。その経緯について知りたいと思い、私はがんだるふ氏に会い、インタビューした。彼の証言をもとに、取材の経緯を再構成してみたい。

 がんだるふ氏に毎日新聞のI記者からメールで取材申し込みがあったのは、昨年十二月十四日のことである。メールといっても、mainichi.co.jpのドメインからではなく、ミクシィ上のメッセージだった。おそらく、がんだるふ氏がミクシィ上で活動していたため、ミクシィでしか連絡を取る方法を思いつかなかったのではないかと思われる。「私は今、ネット上での言論のあり方について取材をしてます。さくらちゃんの募金活動では、がんだるふさんの提起された議論が注目されました。是非お会いして、お話を伺いたいと思っています」という趣旨だった。毎日新聞社会部という所属と名前は書かれていたが、シグナチャーなどもなく、本当にそのIと名乗る人物が毎日の記者かどうかを確認する方法はなかった。おまけにミクシィのプロフィールもほとんど内容がなく、公開情報は名前のローマ字表記と「性別:男性」「趣味:テレビ」「自己紹介:よろしくお願いします」のみ。マイミクもわずか四人しかいないという属性では、毎日の記者と言われてもにわかには信じがたかった。「何かの釣りなのか?」とがんだるふ氏は疑った。

 そこでがんだるふ氏は「あなたの身分をきちんと明かしてほしい」と返信し、I記者からは毎日新聞のメールアドレスを使ったメールが送られてきた。これである程度のアイデンティファイは行われたとがんだるふ氏は判断し、十二月十九日に渋谷・エクセルホテル東急のエスタシオンカフェで取材に応じることを約束した。

 「でもこの段階では、どのような趣旨の取材なのかという説明もないし、まともな記事を書いてもらえる期待度は一〇パーセントぐらいかなと思ってたんですよね。ただ、会って説明したい気持ちはあったし、毎日新聞というメディアがどのようなスタイルで取材をするのかということを知りたいという好奇心もあった。それで取材に応じることにしたんです」

 がんだるふ氏はそう話す。そして取材当日、がんだるふ氏がエスタシオンカフェに到着すると、二人の記者が待ち受けていた。メールのやり取りをしたI記者と、T記者である。T記者は海外特派員経験もあると話し、記者歴の長い中堅らしかった。取材が始まった。最初に名刺交換し、がんだるふ氏は実名を名乗り、さらに自分のリアル社会における経歴についても説明した。一九四八年生まれの団塊の世代であり、学生時代には全共闘運動に関わっていたこと。大学卒業後には大手フィルムメーカーに就職したが、一九七九年に退社し、その後はフリーランスとして造形作家活動やイベントなどのプロデュース、科学・児童文学などの著作を刊行していることなどである。この説明を受けて毎日側は、前出のようにがんだるふ氏のプロフィールを「元大手フィルムメーカー社員。今はイベントプロデューサーという。58歳」と書いたのだった。

 名刺交換と経歴の説明が終わったが、しかし二人の記者からは相かわらず取材趣旨の説明はない。それどころか、どのような記事に盛り込む予定なのかも説明はされなかった。大型連載企画の元旦スタート紙面に書かれたことをがんだるふ氏が知ったのは、掲載後のことである。がんだるふ氏は「説明したら、取材拒否されると考えたのではないですかね。とりあえずこの時点で、僕としては『これはまともな取材じゃないな』と感じた」と話す。
本当に匿名は悪だったのか



 取材趣旨の説明はないまま、インタビューに突入した。そして年配のT記者がいきなり、こう畳みかけてきた。「匿名でやっているのは、卑怯だとは思いませんか」。

 これに対し、がんだるふ氏は匿名言論の問題について詳細に説明した。その内容については、彼が全体公開のミクシィ日記に書いた「実名信仰の愚かしさ」(一月十五日)というエントリーに詳しい。少し紹介したい。

著名人でもなければ、市井の一個人にとって実名が信頼の担保として有効なのは地域社会の内でしかありません。八百屋の御主人とか、小学校の先生とか、背景となる情報とのセットで。ただ、これも階層序列がつきまといますから、発言内容の質とは別のファクターによるバイアスがかかり、例えばコンビニの店員の発言は、ともすれば軽く見られてしまうという傾向がでてきます。

 また、たとえ正しいことを主張する場合でも、発言とその反響を考えると、どうしても自己規制せざる得ないことも少なくありません。これは、えてして、階層序列の上にいるものにとって有利に働く一種の「言論抑制」となるわけで。

 このような状況では、「本音で語る」、「自分の思想信条に基づいた発言」などは「絵に書いた餅」に過ぎないわけでございます。(中略)

 NET空間では、実名がさらに希薄になります。『発言者が実名であることを認証するシステム』が事実上ないので、『実名』と称するものが意味を持ちえません。

 もっともらしい東京都千代田区の鈴木太郎さんと、いかにも仮名の港区の匿名希望さんとの間に本質的な差はありません。住民票コードの数字列のほうが存在の証にはなりますが、それとて、発言者のものであると確認しえないので、無意味であることにかわりはありません。

 すなわち、NET空間では実名と匿名の境界が曖昧で、名前は記号にしか過ぎないのです。

 そしてがんだるふ氏は、実名の世界では属人性によって発言の価値が左右されるケースが多いのに対し、匿名では書いたことの中身だけで判断されるとし、実名の発言が優れているという論議は馬鹿げていると説いている。このあたりの彼の主張については私もまったくその通りだと思うし、日本社会がこれまで「誰が言ったか」ばかりを取りざたしてきたことへのアンチテーゼとして、「何を言ったか」というテーゼを今後は展開していくべきだと考えている。
取材は堂々めぐりで終わった

 だが毎日の二人の記者は、そのようには言論をとらえていないようだった。がんだるふ氏があれこれ説明したことに対し、記者らは「でも、実名に対して匿名で批判するのはおかしくないですか」と切り返した。「無限のループのような対話だった」とがんだるふ氏は振り返って言う。臓器移植募金の問題点について話が及んだときもそれは同様で、彼が「僕の移植に対するポリシーはちゃんとミクシィでも書いているでしょう。移植自体には自然の摂理で僕自身は反対だが、やろうとしている人には留め立てはしません。そのことについてて判断するのなら、自分で調べてほしいし、そのための手がかりを残すためにこのような言論活動をしている、と書いてますよね」と説明すると、毎日の二人は以下のようにがんだるふ氏に質問した。

「命を助ける行為なのになぜ批判するんですか」
「あなたのお子さんが同様のケースになったらどうするんですか」
「募金する人が自分の意志で募金するのだから問題ないのではないんですか」
「自然の摂理っていうのは要するに宗教ですよね。それを他人に強制するのは間違ってませんか」

 そうやって取材は延々と三時間にも及んだ。がんだるふ氏は振り返る。「これらの質問の主導はT記者であり、議論をふっかける感じで、失礼な態度だった。私の失言を誘い、言質をとろうとする質問が目立ってました。それで僕は『こうした質問に乗せられたら、はめられてしまうかもしれない』と考え、懇切丁寧に移植問題や移植募金の問題、さくらちゃんケースの問題、実名と匿名について、ウェブの特質、ネットワーク文化等について話したんです。僕は途中から、この人たちにきちんと教えてあげようとレクチャーのつもりになっていて、カフェの周囲の席にいた人たちは、ゼミの先生が学生に講義しているように見えたかもしれないですね(笑)」

 堂々めぐりの取材の最後に、毎日の二人は写真撮影と実名を出すことを求めてきた。がんだるふ氏は拒否した。三時間も話していれば、毎日の記者がある特定のストーリーに基づいてインタビューしていることが明白にわかってくる。そのストーリーに寄り添う気持ちはがんだるふ氏には毛頭なかったし、だからこそ実名を出すことは断ったのだった。しかしそれでも、「三時間もこうやって懇切丁寧に説明して差し上げたのだから、ひょっとしたら一〇パーセントぐらいの確率で、この問題をきちんと取り上げてくれるかもしれない」というすがるような期待心もあった。

 だがその後、毎日からはいっさいの連絡がなかった。正月の紙面に自分が登場していたことに驚き、「まいまいクラブ」のブログコメント欄にがんだるふ氏が抗議を書き込んだのは、一月一日夕方のことである。だがそれでも返事はなく、がんだるふ氏は一月五日になって毎日新聞社会部に電話し、I記者の上司と名乗る社会部デスクに抗議した。だがデスクは「きっちり取材しているから間違いは無いはずです」と言うだけだった。がんだるふ氏が「ではIさんと話をさせてほしい」と申し入れると、「電話かけさせりゃいいんでしょ、私は忙しいんです」 と電話をガチャリと切られてしまったという。

 その後、がんだるふ氏はI記者を知る別の人物から、I記者の携帯電話番号を聞き出す。電話して「Iさんですか? がんだるふです」と名乗ると、I記者は驚いたように「はい」と答えた。がんだるふ氏が「あなたね、ああいう記事にして楽しいですか? あれが本当に本心なんですか? 胸に手を当てて考えてみてください」といったら、I記者は黙ってしまった。そして「私の一存では何も答えられません」と言って、電話を切ったという。

 その後、I記者からはメールが一度だけ送られてきたという。がんだるふ氏が公開しているのは、次のような内容だ。

お問い合わせの件、会社の上司に確認しました。

社としての回答は「見解の相違としかお答えできません」です。

また、掲載紙については1月4日にお送りするよう手配しました。数日経っても届かない場合は再度、会社にご連絡下さい。

 がんだるふ氏は「僕のバックグランドや見識、どのような人格の人物なのかはI記者もT記者も会ってみてわかったはず。それなのにあのような悪意の固まりのような人物に描き、しかも『男』と表現したのは、スケープゴートを仕立て上げたかったとしか思えない」と話す。
何が問題だったのか



 この取材に、問題点は二つあったように思う。ひとつは、「取材」という行為の相対化の問題だ。私は以前、HotWiredの「ITジャーナル」というブログで、「インターネットが取材を変える日」というエントリーを書いた。詳しい内容は読んでいただければと思うが、この経験をしたのは二〇〇二年、さらにこの経験をもとにHotWiredに該当エントリーを書いたのは二〇〇四年秋。エントリーを書いてから、すでに二年あまりが経っている。そしてこの時、私はエントリーの最後にこう書いた。「だが現状では、インターネットメディアの一般社会への影響力はあまりに低い」

 しかしあれから二年が経ってみると、気がつけば劇的に状況は変わってきている。そのターニングポイントは一昨年の郵政解散、そして昨年のライブドア事件あたりにあったように私は感じている。どちらの件も、ネット上の世論とマスメディア論調が著しく乖離したケースだった。堀江貴文前社長の行為はともかくとして、ライブドアという会社全体を「虚業」という言葉で切り捨ててしまうメディアの論調には、ネット業界の多くの人が違和感を感じたし、また郵政解散ではメディアのかなりの部分が小泉批判を展開したのにもかかわらず、しかし結果として小泉自民党は圧勝し、世論とマスメディアの論調が乖離していることを明確に浮き彫りにする結果となった。この当時、ある大手週刊誌の記者を務めていた知人は、後に私にこんなふうに漏らしている。

 「郵政解散でわれわれは絶対に小泉を勝たせちゃいけないと思ったんです。それで徹底的に反小泉の論調を張り、小泉の側に立つ政治家たちの不祥事や問題を洗いざらい調べ上げた。そうやって投開票日を迎え、われわれとしては小泉自民党は選挙に負けるだろうと思いこんでいたのに、蓋を開けてみたらまったく逆の結果だったんです。その後の編集会議はまるでお通夜のようで、言葉も出ませんでした」

 マスメディアはみずからの影響力を自負し、みずからが発信した情報こそが世論になると考えていた。実際、そうした構造は戦後日本の世論空間を永く支配していたのだが、しかし今や音を立てて構造は崩壊しつつある。その最初の号砲が、この郵政解散ライブドア事件だったのではないかと思うのである。(いや、ひょっとしたらイラク人質事件にその最初の転機はあったのかもしれないが)

 そうした時代においては、当然のようにマスメディアと読者の関係は変わってくる。その構造転換を読者−−特にインターネットの人たちはすでに皮膚感覚として感じていて、マスメディアが世論を作る時代は終わってしまったことをまさに認識しつつある。その先にどのような世論形成機能が社会として培われていくのかはまた別の議論としなければならないけれども、しかしながらいったんひっくり返ってしまったものは元には戻らない。覆水盆に返らず、なのだ。

 ではそのような時代において、マスメディアはどうすれば信頼を維持し、記事の正当性を保ち続けることができるのか。私は、そうした信頼性を支えるのは、取材の可視化しかないのではないかと考えている。取材の可視化というのは、単に取材内容をオープンにしてしまうということではない。取材内容をただオープンにするのではなく、取材する側とされる側が相対化され、同じ土俵の上でそれぞれの意向を交換しあうような土俵を作っていくべきだと考えている。

 新聞社も、ようやくそのことに気づきつつある。「ネット君臨」取材班の担当デスクである花谷寿人デスクは、毎日新聞の「発信箱」というコーナーで、「ネット取材考」というコラムを昨年末に書いた。彼はこう書いている。

 ところがいきなり、ネット社会の怖さを感じることになる。相手が取材された内容を、直後にブログの日記やネットの掲示板に書き込む。新聞記者のかつての取材は1対1の関係だった。それが大きく変わり、記者個人の名前や取材の仕方が不特定多数の人々にさらされる。メディアもそういう時代を迎えたことを思い知らされた。記者は名刺を出すことさえ、ためらうこともある。

 取材対象とのこの関係性を、「怖さ」と感じるのかどうか。「ためらう」と思ってしまうのかどうか。そのハードルをどう乗り越えられるかどうかに、新聞記者がネット時代を生き残れるかどうかがかかっているように思う。「怖い」「ためらってしまう」と感じてしまうのはしかたないことだと思うのだが、そこで踏みとどまってしまって、「怖いネットはやはり危険だ」とネガティブ思考に転じてしまったら、その先の未来は存在しない。花谷氏は実は私の新聞社時代の先輩(私も毎日新聞社会部出身だ)で、面識がある。この件について、一度ゆっくり話し合ってみたいと思っている。
匿名と実名の問題について

 さて、「ネット君臨」第一回の取材のもうひとつの問題も書いておこう。それは毎日の記者たちが実名と匿名の問題をどう認識しているのかということだ。

 がんだるふ氏は毀誉褒貶相半ばする人物だが、しかし八〇年代からパソコン通信ニフティサーブ」などで言論活動をしてきて、ネット世界では有名人のひとりである。ニフティのフォーラム「FJON」(オンラインジャーナリズムフォーラム)や「FSHISO」(現代思想フォーラム)などに参加していた古いネットユーザーであれば、がんだるふ氏の名前を覚えている人は少なくないに違いない。私もニフティ時代のがんだるふ氏の活動は、懐かしく覚えている。そうやって彼は同じ「がんだるふ」という通名をこの二十年にわたって使用し、言論のアーカイブも蓄積され、その中で一定の地位を保ってきた。その意味で彼の「がんだるふ」という名前は確かに実名ではないけれども、ネットの世界では限りなく実名に近い名前だ。

 ネットの世界では、そうした名前の蓄積が言論活動における重要な要素のひとつだと私は考えている。どこの誰か−−会社の経営者なのか大学教授なのか、あるいはフリーターなのかニートなのかはいっさい問われないけれども、しかしその人物が過去にどのような発言をし、どのような言論の蓄積を行ってきたのかということは、きわめて重要な言論のファクターだと思う。完全にアーカイブからも前後関係からも切り離された秀逸な言論というものももちろん存在するが、しかし過去のアーカイブによってその言論がどのようなコンテキストによって支えられているのかを知るということは、ネット上の議論の中では必要な要素ではないかと私は考えている。

 一方で新聞は、どうか。毎日は他紙に比べれば署名記事の比率が高く、オープンになっていると言われているが、しかし署名記事の多くは官公庁の発表ものか、そうでなければ雑感と呼ばれる現場ルポ記事、あるいはコラムなどに偏っていて、調査報道などについてはほとんど署名が加えられていない。たいていは「○○問題取材班」というクレジットであって、これではそもそもクレジットを付ける必然性さえない。

 毎日の「ネット君臨」も同様で、連載の最後に取材班の記者名は並べられたが、しかしどの記事をどの記者が書いたのかは明らかにされていない。無署名に限りなく近い体勢であり、そうした無署名的な取材体勢を組んでいる取材者の側が、がんだるふ氏のような長い期間にわたってアイデンティファイされている人物に対して、「匿名は卑怯ではないか」と指弾するというのは、ロジックとしても正しいとは言えないように思うのである。

 私は一月の後半にがんだるふ氏と恵比寿の喫茶店で会ったが、インタビューの最後に私は彼に「今回の件で何か失ったものはありますか?」と聞いてみた。

 するとがんだるふ氏は驚いたような表情で、「失ったもの? そんなものあるわけがないですよ。マスコミはいまやこの時代に入って怖い存在じゃなくなってきたんじゃないですか。今回の件でも恥をかいたのは毎日新聞でしょう」と答えたのだった。


マリサ
まず問題なのがな、

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題
CNET Japan 2007年01月25日

(一部抜粋)
 取材趣旨の説明はないまま、インタビューに突入した。そして年配のT記者がいきなり、こう畳みかけてきた。「匿名でやっているのは、卑怯だとは思いませんか」。

 これに対し、がんだるふ氏は匿名言論の問題について詳細に説明した。その内容については、彼が全体公開のミクシィ日記に書いた「実名信仰の愚かしさ」(一月十五日)というエントリーに詳しい。少し紹介したい。

著名人でもなければ、市井の一個人にとって実名が信頼の担保として有効なのは地域社会の内でしかありません。八百屋の御主人とか、小学校の先生とか、背景となる情報とのセットで。ただ、これも階層序列がつきまといますから、発言内容の質とは別のファクターによるバイアスがかかり、例えばコンビニの店員の発言は、ともすれば軽く見られてしまうという傾向がでてきます。


マリサ
記事にもあるように取材趣旨の説明が一切無く、いきなりがんだるふ氏に対して匿名批判を切り出してきたそうなんだ。
本題は募金の問題なのに、論点を摩り替えたわけだな。


レイム
たしかこういうのって、うp主いわく問題にされたくない内容があるときに、最初に都合の悪い論点を避ける攻撃的な質問をして、主導権をとることで問題点を避けてこちらのペースに巻き込む手法だそうね。


マリサ
そうだぜ。
この場合なら、最初にがんだるふ氏の匿名問題について批判してきたって事は、募金問題そのものに記者が「触れてほしくない」って事が見え見えって事だな。
最初から高圧的な人間は触れてほしくない部分を追求されると脆いんだけどな。


マリサ
これに対して、がんだるふ氏はちょっと相手の話に乗りすぎたな。
結局記事では「ネット上の罵詈(ばり)雑言はノイズ。被害と感じるのは弱いからだ」と発言の継ぎ接ぎされてしまっているし。


マリサ
それで次にこんなのがあるぜ。

毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題
CNET Japan 2007年01月25日

(一部抜粋)
そうやって取材は延々と三時間にも及んだ。がんだるふ氏は振り返る。「これらの質問の主導はT記者であり、議論をふっかける感じで、失礼な態度だった。私の失言を誘い、言質をとろうとする質問が目立ってました。それで僕は『こうした質問に乗せられたら、はめられてしまうかもしれない』と考え、懇切丁寧に移植問題や移植募金の問題、さくらちゃんケースの問題、実名と匿名について、ウェブの特質、ネットワーク文化等について話したんです。
(中略)

 堂々めぐりの取材の最後に、毎日の二人は写真撮影と実名を出すことを求めてきた。がんだるふ氏は拒否した。三時間も話していれば、毎日の記者がある特定のストーリーに基づいてインタビューしていることが明白にわかってくる。そのストーリーに寄り添う気持ちはがんだるふ氏には毛頭なかったし、だからこそ実名を出すことは断ったのだった。
(後略)


マリサ
がんだるふ氏も気付いて指摘しているが、要するにいつものあれだぜ。
失礼な態度で議論を吹っかけて、相手を怒らせ失言を誘い言質を取ろうとする、マスコミが良くやる手法だぜ。


レイム
ほんといつものマスコミの手法ね。


マリサ
あの『ネット君臨』の記事がどんな背景から作られた記事なのか、このインタビュー記事からはっきりとわかって、これが毎日新聞への不信感に繋がったんだぜ。
しかも内容から、このT記者って人物がかなりこういう手法に「慣れた」人物である事がわかるな。


マリサ
それで佐々木氏は毎日側にも取材を行っているんだが、そっちも興味深いぜ。


毎日新聞ネット君臨」取材班にインタビューした
CNET JAPAN 2007年02月21日
https://japan.cnet.com/blog/sasaki/2007/02/21/entry_post_12/

 毎日新聞の連載「ネット君臨」について、その後私の取材活動にいくつかの進展があった。時系列から言えば、まず第一に、毎日新聞社から「ネット君臨」座談会に出席するよう求められた。ちなみにこの要請は、Cnetの前回のエントリーをアップロードした前日のことで、前回のエントリーを見て座談会出席の依頼が来たわけではない。ちなみに座談会の内容は、毎日インタラクティブで公開されている。

 第二に、これに合わせて私は取材班に取材を申し込んだ。正確に言えば、毎日新聞社長室広報担当に電話し、その上で質問要旨を書いたファクスを送り、インタビューに応じていただくように申し入れたのである。広報担当者とはその後数回のやりとりがあり、20日毎日新聞社編集局長応接室で取材が実現した。私としてはネット君臨取材班の花谷寿人デスクやTキャップ、I記者らに対応してもらえればと思っていたのだが、インタビューに応じてくれたのは、同社編集局次長の池田昭氏だった。「ネット君臨」企画の担当局次長である。以下、一時間半にわたったインタビューの内容のダイジェストをここに記しておく。なおこのインタビューに対する感想は、日を改めてアップロードしたいと思っている。
「取材意図は十分に説明しました」

――がんだるふ氏が取材班の取材行為に関して、いくつかの疑問をミクシィ上で提起されていたのは知っていましたか。
池田氏 記事が出てしばらく後、ミクシィ上に(がんだるふ氏の提起が)出ているのを承知しました。
――上記の疑問提起に関連して、がんだるふ氏への取材の際に取材意図、紙面掲載予定などについて取材時に説明されなかった理由は。
池田氏 取材の意図は、われわれとしてはきちんと説明していたという認識を持っています。
――紙面掲載予定については説明していないのでは?
池田氏 取材した時点では、どの時期に掲載するのかについては当然決まっていない。(連載の)複数の回にわたって並行して取材を進めていますから。
――しかし一般的に言って、年間にわたってシリーズで掲載する今回のような連載記事の場合、「正月からスタートする大型連載で掲載する」ということは最低限でも決まっていたわけで、そのことさえ説明されなかったのはまずかったのではないですか?
池田氏 私の方で言えることは、掲載時期等は決まっていなかったということしか言えない。
――がんだるふ氏は、取材意図についても説明がなかったと言っていますが。
池田氏 意図を説明しないと取材にならないでしょう。取材意図が伝わらないまま三時間も取材が続くとは思えないので、十分こちらでは説明したと認識している。それ以外の詳細については、取材相手とのやりとりなので、その内容について佐々木さんにお伝えすることについては控えさせていただきたいと思っています。
「男という表現は、単に性別を表現しただけです」

――「ネット君臨」記事ががんだるふ氏を「男性」ではなく「男」と表現したのは、どのような意図だったのでしょうか。
池田氏 これを佐々木さんはネガティブな表現だとおっしゃるが、これは単に性別を表記しただけで、特別な意図をもって表現したわけではありません。
――ご冗談を。本気でそうおっしゃっているのですか?
池田氏 それは佐々木さんの主観かもしれないですよね。
――通常、相手に対して敬意を持っている場合に「男」と表記するケースは非常に少ないと思いますが。
池田氏 たとえば過去、新聞連載で読んでいただければわかるが、普通に女性について「女」という表記を使ったこともあります。繰り返しになるが、特別な意図を持っていたのではなく、性別を表しただけです。
「取材内容は第三者には明らかにできない」

――がんだるふ氏の疑問提起に対する取材班の対応として、どのようにすべきだとお考えになりましたか。また実際には、どのように対応されたのでしょうか。
池田氏 基本的な見解が違っているのかなということです。
――基本的な見解というのは、どのような意味ですか?
池田氏 それについては言えません。
――どうして言えないのですか。
池田氏 がんだるふさんに対する個別具体的なことなので、それ以上のことを教えるわけにはいかない。
――では一般論として、基本的な見解が相違しているというのはどのような文脈において使われているのですか?
池田氏 一般論としても、それ以上のことは第三者の人についてはお教えできない。新聞記者のモラルとして、取材先との話を佐々木にお答えするというのは控えさせていただきたいと思っています。
――しかし「基本的な見解が違っている」というのはあまりにも曖昧とした表現で、何を説明しているのかという基本的なことさえそれでは理解できません。説明として足りていないのではないですか。
池田氏 基本的にわれわれは取材の意図を説明した上で、取材に入ったという認識を持っている。だから、いまおっしゃられることについて言うと、そういう取材の説明をしているわけだから、彼がおっしゃっていることとわれわれの認識していることが違うのであれば、それは見解の相違であるということです。
「どこの誰かすぐにわからなければ、実名ではない」

――がんだるふ氏がネット上でこのペンネームを20年以上にわたって使用していることはご存じだったでしょうか。
池田氏 取材班は、どのぐらいというのはわからないとしても、長期にわたるハンドルネームを使っているというのは承知していました。
――このように長期にわたって使われている通名ペンネーム)の実名性についてどのようにとらえられていますか。
池田氏 通名と実名は、本質的には異なるものであると考えています。
――通名と匿名は?
池田氏 匿名と通名は、どこでの掲載という問題がある。書かれた側からすれば、どこの誰かがわからなければ、匿名と同じであるし、誰かわからなければ、実名であるとは考えない。
――ではたとえば、鈴木一郎さんという平凡な名前の人物が実名でネット掲示板に書き込み、他人を批判した場合には、それはOKということでしょうか?
池田氏 それはだめでしょう。どこのだれかわからなければだめです。書かれた側がどこの誰であるかわかれば、理解できるけれども、少なくとも、ありふれた名前がどこのだれかわからなければ、それは実名とはいえない。
――では会員制のSNSなどで、アイデンティファイされたペンネームで批判するケースは?
池田氏 それはケースバイケースでしょう。
――たとえばがんだるふ氏はどうなんですか。
池田氏 がんだるふ氏はどこのだれかがわからない。書かれた側がわからなければ、実名とは言えません。
――がんだるふ氏はミクシィの会員で、アイデンティファイは可能だと思いますが。
池田氏 書かれた側がすぐにわからなければ、それは実名ではありません。
――書かれた側がすぐに特定できるというのは、どのようなケースをおっしゃってるのでしょうか? 具体的な実例を言ってみていただけませんか。
池田氏 それは今回の(がんだるふ氏の)ケースに結びついていくので、控えさせてください。
――たとえば住所氏名を書いていれば、実名ということなんでしょうか。
池田氏 それはそちらの判断に任せます。
「匿名言論を否定するつもりはありません」

――匿名による言論活動について、一般論としてどうお考えですか。
池田氏 匿名の言論を否定しているわけではありません。ケースバイケースで、内容によって判断していくといことです。
――「誰が言ったか」という属人的なとらえ方ではなく、「何を言ったか」という本質的なとらえ方をすべきだという意見についてはどう思われますか。
池田氏 それについても、内容によって判断すべきでしょう。
――「内容によって」というのは、具体的にはどのような内容の場合は許され、どのような場合は許されないということですか。
池田氏 ケースバイケースです。
――もう少し具体的におっしゃってください。
池田氏 権力を告発し、その告発者に被害が及ぶ可能性があるケースや、内部告発のケースがそうです。われわれとしては匿名による言論を否定するつもりはないんです。
――しかし内部告発においても、告発する側は正義だと信じ、しかし告発される側は「匿名による誹謗中傷だ」と受け止めるようなこともケースが起きてきますね。線引きをするのは難しいのではないですか。どこで線引きするのでしょう。
池田氏 検証するんです。
――誰が検証するんですか?
池田氏 それを佐々木さんにお答えするわけですか?
―― お願いします。
池田氏 それは控えさせてください。批判が正当な内容なのかどうかについて、われわれは裏付けをした上で取材を進めています。
――たとえば今回の「さくらちゃん」問題における、トリオジャパンの不透明な会計についても裏付けを取られたのでしょうか。
池田氏 その裏付け取材は行い、資料も入手しました。その結果として(ネット君臨の)記事になったのです。
――トリオジャパンの会計が公正なものであるという裏付けを取られたのであれば、それは「さくらちゃん」問題で批判されている両親に対する強力な支援となる内容だと思うのですが、なぜ記事化されなかったのですか。
池田氏 (記事化しないという)そういう判断をしたということです。
「真摯に向き合っているつもりだが……残念ですね」

――取材班の記事が匿名であるのに対し、取材対象に実名を求めるのはバランスを欠いているのではないかと思いますが、どうお考えですか。
池田氏 まず第一に、この記事は毎日新聞の紙面で連載しています。その前提で、連載の最終回に取材に関わった記者の名前はすべて載せています。チーム取材班として複数の記者が関わっているわけですから。
――取材の可視化という問題についてどう受け止めていらっしゃいますか。
池田氏 それは取材の内容によってさまざまであると考えています。取材源の秘匿の問題もありますし。基本的には、取材する側とされる側の信頼関係としか言いようがないと思います。一方で、社会に報道しなければならない事実については、報道していく責任がある。そういうことが、ケースバイケースで起きてくるわけですから、個別問題で判断していくしかないですね。
――がんだるふ氏は「信頼関係がなかった」と指摘していますが。
池田氏 真摯に向き合っているつもりだが、そう認識されていないとしたら、残念ですね。
――なぜ信頼関係ができなかったのだと思いますか。
池田氏 取材の内容を、第三者である佐々木さんにお話ししなければいけないのですか? それをお答えするのは筋違いだと思います。われわれとしてはきちんと相手の了解を得たうえで記事化したと考えています。われわれとの認識の間に差があるということですね。


マリサ
ポイントはこの部分だな。

毎日新聞ネット君臨」取材班にインタビューした
CNET JAPAN 2007年02月21日

(一部抜粋)
――がんだるふ氏は、取材意図についても説明がなかったと言っていますが。
池田氏 意図を説明しないと取材にならないでしょう。取材意図が伝わらないまま三時間も取材が続くとは思えないので、十分こちらでは説明したと認識している。それ以外の詳細については、取材相手とのやりとりなので、その内容について佐々木さんにお伝えすることについては控えさせていただきたいと思っています。
(中略)
――がんだるふ氏の疑問提起に対する取材班の対応として、どのようにすべきだとお考えになりましたか。また実際には、どのように対応されたのでしょうか。
池田氏 基本的な見解が違っているのかなということです。
――基本的な見解というのは、どのような意味ですか?
池田氏 それについては言えません。
――どうして言えないのですか。
池田氏 がんだるふさんに対する個別具体的なことなので、それ以上のことを教えるわけにはいかない。


マリサ
見ての通り、肝心の部分には何も答えていないんだぜ。
取材意図についてちゃんと説明したかについて、説明したといいながら詳細の説明を拒否したり、結論ありきの取材態度に対しての回答も「がんだるふさんに対する個別具体的な事は教えられない」としていたりな。


レイム
これ具体的に何が問題なの?


マリサ
問題の本質に関わる部分で、これが解らなきゃどんな取材が行われたのかわからないのに、重要部分には何も答えず、しかも答えられない理由の説明になっていないんだぜ。
しかも取材相手の個人情報だから答えられないかのように語ってがんだるふ氏に責任を転嫁しているしな。


レイム
ああ、そういう事ね。
答えられない理由は彼ら自身が説明しないといけないのに、その責任をがんだるふ氏に転嫁して、勝手にがんだるふ氏の意向を代弁しているかのように振舞っているわけね。


マリサ
要するにただの論点のすり替えだな。


マリサ
それでな、こうして佐々木氏が双方に取材を行って背景をオープンにした事で、毎日新聞のとんでもなさとマスコミ業界のアンフェアな取材手口が、この事件を契機としてネット上で広く知られるようになったわけだ。
がんだるふ氏と佐々木氏の功績はでかいぜ。


マリサ
これがあったから毎日はネット上で信用を失い、その後waiwai問題に繋がっていくんだぜ。


不利なのは当たり前


マリサ
でな、この件で重要なのは毎日含むマスコミはネット上の画面の向こうにいるのは人格と判断力を持った一般人であるって事を理解せず、不特定多数に片っ端から喧嘩を売ったことなんだぜ。


レイム
結果画面の向こうにいるのがどんな人なのかも理解せず、多くの人を敵に回してどんどん信用を失ったわけね。


マリサ
そうだぜ。
そしてここからはこれに関係して「今」の話をするぜ。


マリサ
最近さ、youtubetwitterのアカウントが大量BANされて消えてるよな。
あれなんだけど、ここ数年の傾向としてマスコミというより「ネットの言論と敵対する側」は、状況分析と学習をおこなって組織的に対策を立てているのに対して、ネット側は「同じ事」を繰り返しているからこうなっているんだぜ。


レイム
というと?


マリサ
今回説明したように、マスコミ側はかつて不特定多数に喧嘩を売って酷い目にあっただろ?
でも最近の傾向を見ていると「ターゲットを絞り込む」事で自分達に有利な状況を作り出そうとしているんだぜ。


マリサ
んでさ、ネット上の言論というのは原則的に不特定多数がそれぞれの意見で勝手に言いたい事を言っているだけだろ?
だから統制が取れず守勢にまわると弱いって特徴があるんだが、「あちら側」は明らかにこれを理解したうえでの対応をしているんだぜ。


レイム
ああ、なるほど。
ネット上ではかつてと同じように罵倒や差別と受け取られる発言をしている人がいるから、彼らは「ネットユーザー」ではなく、「攻撃し易い隙のある部分をピンポイント」で攻撃して主導権を握ろうとしているわけね。


マリサ
そういうことだぜ。
なのにネット側では意味も無く罵倒や差別と認識される言動を行っている連中がいるだろ?
明らかに「対策を立てられている」のに、あまりにも無防備すぎなんだぜ。


レイム
まあ確かに、問題提起するだけなら罵倒や差別発言なんて必要ないのに、感情的な理由でそういう事をする人多いから、そこを突かれているわよね。


マリサ
そうだぜ。
だからこの動画を見ている人にはちょっと考えてほしいんだぜ。
問題提起や批判をするのに、罵倒や「一般的に」差別と受け取られる言動は本当に必要なのかってな。


マリサ
そもそも、この動画シリーズを見ている人が持っている問題意識を、日本中全ての人が持っているのか、もっていない人が過激な発言をみたらどう感じるか、少し考えてほしいんだぜ。
それが連中の大義名分になっているのだからな。
というかな、ただ鬱憤晴らしがしたいだけの連中はもうこの問題に関わらないほうがいいんだぜ。

今回のまとめ
NHK職員による不審な募金騒動があり、それをマスコミが擁護した。
毎日新聞がこの件で新年に特集を組み、取材相手を騙して印象操作を行った。
・わざわざ相手に有利な土俵に上がる必要は無い。


レイム
そうね、実感が持てない人は過去動画の「【日韓問題】嫌韓はいつ始まったの?前編・後編」でのやり取りを最後まで見てほしいわね。


マリサ
「自身の常識(知識)が相手にとっても常識とは限らない」んだぜ。
そんなわけで今回の本編は終わるぜ。


レイム マリサ
ご視聴ありがとうございました。


大口
おつかれ~


大口
二人ともちょっと聞いてくださいよ。


レイム
何?


マリサ
なんだ?


大口
この前ね、衝撃的な夢見ちゃったんですよ。


マリサ
夢の話なんてどうでもいいぜ。


大口
まあそういわずに。
北朝鮮と韓国がホットラインを開設したって話は知ってるよね?


大口
それを伝えるテレビ番組の夢を見ていたんだけど、韓国側がホットラインで北に電話をする映像が流れてね、その後画面が変わって金正恩の執務室で電話の呼び出し音が鳴る映像が流れたんですよ。







大口
そしたらね、金正恩が真顔で自分の頭を勢い良くガッ!って掴んでね…


大口
そこで「うわああああああああああ」ってなって目が覚めました。


マリサ
くだらなすぎるぜ…


レイム
尺の無駄なんだけど?


大口
もう少し乗ってくれてもいいじゃない…


レイム
ハイハイ


マリサ
そんなところで今回はこれで終わるぜ。


レイム マリサ 大口
またらいしゅ~




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