日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

「歴史を繰り返す」韓国


さて、本日は歴史を「かくあるべき姿」に改変してしまうため、過去から学べず同じ事を繰り返す韓国について短めに書いて行きます。


韓国はよく日本に対して「歴史」を持ち出して優位に立とうとするが、実際には彼らは「自分達に都合のいい形」に歴史を改変しているだけであり、実際の歴史を語っているわけでは無い。


当然都合よく美化した歴史から教訓を得る事はできないため、現在の韓国は李朝末期と殆ど同じ振る舞いをし始めている。


始めて来られた方はまずこちらを先に読む事をお勧めします。

ブロマガ『日韓問題(初心者向け)』を始めた理由


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:都合の悪い事実は無視


まずはこちらの去年の記事から


【コラム】130年前の袁世凱を思い出した理由
朝鮮日報 2016/04/03
1/2ページ) (2/2ページ

科挙に2回も落ちた23歳の袁世凱が逆転のチャンスをつかんだ場所が、朝鮮だった。1882年の壬午(じんご)軍乱で朝鮮情勢が不安定化するや、清は呉長慶率いる3000人の軍隊を派遣した。仕事がなかった袁世凱は、父親の友人だった呉長慶の部下として朝鮮にやって来た。勉強はいいかげんだが武芸は熱心だった袁世凱は、すぐさま能力を認められた。壬午軍乱の責任者と目された興宣大院君を清に連行し、大院君勢力を討伐する戦いで大いに功績を立てた。

 2年後の甲申政変では清軍を率いて昌徳宮に入り、高宗を「保護」する措置を取るとともに、日本軍の支援を受けて開化派が断行した政変を粉砕した。翌年末、袁世凱は清の実力者たる北洋大臣・李鴻章の指揮を受ける駐箚(ちゅうさつ)朝鮮総理交渉通商事宜に任命された。その後、1894年の東学農民運動で日本軍が進駐し、清の勢力が駆逐されるまで「朝鮮の総督」のように権力を振るった。

 「上典」(奴隷の主人)役の袁世凱のせいで、高宗は一日たりとも気の休まる日がなかった。ロシアの力を借りて清をけん制しようとしたのも、そのせいだ。これに気付いた袁世凱は「兵が500人もいれば国王を廃することができる」と高宗を脅した。

 袁世凱が朝鮮で活躍した12年間は、韓中日が近代国家樹立のため「時間との競争」を激しく繰り広げていた時期だった。その絶体絶命の時期に、袁世凱は、朝鮮が西欧に外交使節を送ることにすら干渉し、足を引っ張った。アヘン戦争後、西欧と不平等条約を締結した清は、事実上唯一の従属国として残っていた朝鮮を帝国の囲いの中にとどめておくため、ありったけの力を用いた。属邦の内治・外交の独自性を保障してきた伝統的な中華秩序からは随分と外れた、逸脱行為だった。

このため学界では、清が西欧の帝国をまねて、朝鮮を「二流の帝国主義」の実験対象にしたと分析している。一日も早く富国強兵を実現し、植民地に転落する危険から抜け出さなければならなかった朝鮮の立場からすると、袁世凱は近代国家建設の足を引っ張った「元凶」だった。

 思い出したくもない130年前の袁世凱の行いを振り返った理由は、少し前に邱国洪・駐韓中国大使が行った「非外交的暴言」のせいだ。邱大使は、終末段階・高高度防空ミサイル(THAAD)が韓半島朝鮮半島)に配備されたら韓中関係が破壊されかねない、と脅迫した。外交的修辞をことごとく無視して「両国関係の破壊」を直接口にした邱大使の発言は、旧韓末の袁世凱の傲慢(ごうまん)さを思い起こさせるほど衝撃的だった。

 もちろん、袁世凱内政干渉は、邱国洪大使の無礼とは比較にならないほど直接的かつ野蛮なものだった。袁世凱のやったことは、「上品に」警告する程度では済まなかった。直接軍隊を動員して高宗を廃位しようとして、朝鮮の上に君臨した。はっきりしているのは、邱大使の「暴言」のようなものが繰り返されると、韓国国民は条件反射的に旧韓末の袁世凱を思い出してしまう、ということだ。中国の武大偉韓半島事務特別代表は、今月初めに訪韓して「韓中協力」を強調し、韓国人の不愉快な心情を「慰め」たが、こういうことが繰り返されると、韓中関係に深刻な亀裂が生ずるだろう。「戦略的協力パートナー」という韓中関係が内実を備えるためには、少なくとも、こうした敗着はなくさなければならない。


この記事なのですが、李朝末期に清朝袁世凱が引き起こした事例を出しながら、現在の中国の横暴を批判しており、一見すると「歴史を顧みている」ように見えます。


しかし実は、この記事からは事実関係のいくつかが抜け落ちています。


そのなかで最も重要なのは、袁世凱を朝鮮の政治の中枢に引き込んだのは韓国で現在「国母」とされている閔妃だという事です。
閔妃は当時朝鮮の王であった高宗の妃でしたが、高宗の父親である大院君との間で熾烈な権力争いを続けていました。


当初閔妃は大院君を政争で追放し、「開化派」として日本の支援を受けていたわけですが、大院君が復権し攘夷派とともに閔妃を襲撃したのが記事にもある壬午(じんご)軍乱です。


このとき閔妃は清の袁世凱に助けを求め、閔妃はその後ろ盾を受けて大院君を捕縛し清へ連行させ、袁世凱はその功績で朝鮮における磐石の地位を手に入れたわけです。


そしてこの件で重要なのは、元々の発端は大院君と閔妃の権力争いであり、双方が自分達の勢力を優位にするために外国勢力を引き入れ、しかも都合が悪くなると次々と外国勢力を乗り換えた事です。


例えば、先ほども書いたように閔妃は大院君との争いを有利に進めるために日本を引き込み、その後清のほうが言う事を聞いてくれると考えると清に乗り換えます、そして大院君の方は、閔妃が清に乗り換えるとロシアを引き込み、更にその後日本に近付きます。


その後に発生したのが閔妃暗殺事件であり、当時のロシアでは「直接の犯人が誰であれ、首謀者は間違いなく大院君である」との見解を持っていた記録があります。


要するにこの一連の問題は、朝鮮における派閥争いに日本、清、ロシアが引き込まれた結果、それぞれの国がそれぞれの国益を優先し、それが日清・日露戦争へと繋がったということです。


しかし現在の韓国では、閔妃は「日本に殺された悲劇の国母」であり、日清戦争日露戦争は「日本が朝鮮侵略のために引き起こした」という歴史の改変が行われているため、その原因となった閔妃派と大院君派の政争が存在しなかったかのように扱われているわけです。


2:歴史は繰り返す


このように、問題の本質は朝鮮の政争であり、派閥の利益のために安易に外国勢力を引き込む体質があります。


そして現在の韓国の情勢なのですが、元々朴政権が中国に接近した背景にも、実は朝鮮伝統の派閥争いが関係しています。


どういう事かといえば、朴槿恵元大統領の父親である朴正煕元大統領は、韓国の左派から「独裁者」という批判と共に、旧日本軍士官学校卒の「親日派である」と批判されており、その娘である朴槿恵氏も「親日派の娘」としてバッシングされていました。


このバッシングは今でも続いています。


韓国国民3人中2人は「朴正煕の銅像」に反対 ハンギョレ新聞 2017.11.17


そこで朴槿恵大統領は、そのレッテル貼りを排除するためにいわゆる「反日政策」を推し進め、また対日本の共闘相手としてアメリカが引き込めなかったため、代わりに中国を引き込もうとします。
その結果が一連のTHAAD問題です。


そして更にその後文在寅政権になると、支持率維持のために慰安婦合意破棄が必要だが、問題が韓国単独では解決不能であるうえに、国際社会からも支持を得られないと知ると、通貨スワップ問題などと共に「中国を頼った(引き込んだ)」という背景もあります。
結局は慰安婦合意問題も韓国の国内事情の問題なのです。


その代償がいわゆる「3不(THAAD追加配備、米ミサイル防衛システム編入、日米韓軍事同盟を行わない)約束」です。
結果中国側はその後韓国と会談をするたびに「3不の履行」を要求して韓国の内政に干渉し、韓国政府がその場しのぎの言い訳をするというやり取りが続いています。


「THAAD封印」できず中国のブーメラン返しに遭う韓国 朝鮮日報 2017/11/23
外交部長官「中国のTHAAD制限要求説は事実ではない」 ハンギョレ新聞 2017.11.28


またこの問題には現在韓国内で発生している便宜上の保守系と革新系の派閥争いも関係しています。


現在韓国内においては、革新系である文在寅大統領が政権を握っているわけですが、彼は支持率維持のために「積弊清算」の名の下に保守系に対する文字通りの「粛清」を行っています。


【社説】政治捜査の嵐、危機に直面する韓国の法治 朝鮮日報 2017/11/27 (1/2ページ) (2/2ページ
韓国検察、保守勢力の「捜査妨害」への反撃に乗り出す ハンギョレ新聞 2017.11.28


結局これも朝鮮伝統の「政争」の一環なのですが、それに対抗するために保守系では文政権による中国との3不問題などの失政をひたすら取り上げており、これも結局は「派閥争い」の域を出ていません。


なので問題の解決よりも「相手の劣等性の指摘」に終始し、双方が相手の派閥の劣等性を指摘しあうという状況にしかなっていないのです。


結局のところ、最初に挙げた閔妃の事例のように、「過去に何が起きたのか」を都合よく改変してしまうため、失敗から教訓を得られず同じ事を繰り返しているのです。
はっきり書けば、百数十年前の閔妃と大院君の争いと、現在の保守系と革新系の争いにさほど違いはありません、お互いに「劣等性の指摘合戦」をしているだけです。


そして閔妃と大院君は外国勢力に頼り、朴槿恵大統領と文在寅大統領も外国勢力(中国)に頼りました。
今後韓国の保守系が日本やアメリカをこの派閥争いに引き込む可能性は充分にあります。


閔妃と大院君の件で日本はそのままずるずると朝鮮の派閥争いにのめりこんでしまいましたが、現代の私達は歴史を教訓として同じ事を起こさないようにしないといけません。
韓国は「歴史を忘れる」のですから、こちらが気を付けるしかないのです。



お知らせ。
このニコニコのブロマガの仕様上、コメントが新たにあった事は解るのですが「どの記事にコメントがされたのか」を確認することが困難です。
そこで、もし過去記事に質問等私が何らかの回答を必要とするコメントをされた方は、お手数ですが最新の記事かtwitter@ooguchib」のアカウントのほうへその旨を書いていただけると助かります。



人気ブログランキングに参加中です、もしよかったらクリックをお願いします。


クリックで人気ブログランキングへ


以下は当ブロマガのお勧め記事マイリストです、もしよかったらこちらもどうぞ。




動画版マイリスト