日韓問題(初心者向け)

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韓国における「道徳」の意味


始めて来られた方はまずこちらを先に読む事をお勧めします。

ブロマガ『日韓問題(初心者向け)』を始めた理由


さて、本日は日本とは大きく異なる韓国の「道徳」について書いていきます。


韓国発の情報や韓国人の発言を観察していると、かなりの頻度で「道徳」に関する言及があり、韓国においては「道徳性」の有無が社会において重要である事がわかるが、実態としては状況によって同じ行為が道徳的だったり不道徳的だったりと規則性がない。


これには理由があり、元々道徳に関しては個々の内面問題であるため非常に主観的なものであり、その判断に個人差があるのは当たり前であるが、概ね私達の社会では結論に至る過程と方向性に規則性が求められるのに対し、韓国の場合には結論に至る過程に規則性はあるが結論そのものには規則性が重視されないという特徴がある。


これは道徳の元となる「基準」や「規範」が、韓国社会における「正しさ」と同じでその時の感情に強く左右される概念である事が関係しているからで、このため韓国では客観的に見て「同じ行為」が状況や属性によって道徳的であったり不道徳的であったりする現象が度々発生する。


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。

1:「道徳」に規則性が無い


まず道徳に関していくつか事前説明が必要となるので書いておくと、元々道徳と呼ばれるものは絶対的に見えて実は流動的な概念であり、地域や時代、或いは世代によってその基準に差異があり、共通するものもあるにはありますが多くは普遍性が無いというのが私の考えです。


ただし、こうした「道徳観の違い」が存在することで意見の対立があったとしても、多くの場合には「納得は出来なくとも理屈は理解できる」というのが、道徳観の違いに対する一般的な認識ではないでしょうか。


例えば、日本では父親が小さな娘と一緒に風呂に入る行為は、中には異論のある人もいるでしょうが一般的には日常です。しかし欧米などではその行為が性的虐待と認識され嫌悪の対象(=不道徳)とされるわけですが、その事に日本人の多くは納得できなくとも、「理屈は理解の範囲内」という具合です。


※ちなみに余談になりますが、社会学的には道徳に関して学習による後付けであるとする経験主義と、人は生まれながらにして一定の道徳性を有しているという生得主義があるようですが、この記事では前者の経験主義を前提に話を進めて行きます。


これが「道徳観に違いはあっても規則性や方向性は同じ」という事です、この事にわざわざ説明は必要ないでしょう。
しかし韓国の場合にはこの法則が通用しません。


韓国の場合、社会的に「道徳性」が非常に重視される傾向にあり、あらゆる行為を「道徳的か否か」で判断する「道徳を基準とした社会」である事がわかりますが、日本人の目から見ると多くの場合でその道徳の基準に規則性があるように見えません。


例えば以下の事例を

慰安婦:謝罪・反省しない日本、米政権交代期に乗じて大攻勢
朝鮮日報 2017/01/09
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 安倍晋三首相は8日、釜山にある日本総領事館前の慰安婦を象徴する少女像設置問題に関連し、自ら「韓国にしっかり誠意を示してもらわねばならない」と韓国側に圧力を加えてきた。韓日の確執が悪化しているのを受け、米国の各メディアは「米国による仲裁の必要性」を取り上げたが、退任を控えているオバマ政権は韓日の確執に介入する時間がなく、次のトランプ政権は仲介役をする準備ができていない。韓国の国政空白や米政権交代期を狙った日本の奇襲攻撃に韓国政府がやり込められている様相になっている。
(中略)
 問題は、大統領権限代行の体制下にある韓国政府が、日本の波状攻勢に対して適切な対策を講じられていないことだ。強硬対応で慰安婦合意や韓日関係を破たんさせることもできず、かといって世論に支持されている釜山の日本総領事館前の少女像を政府が強制的に撤去することもできない。高度の政治的判断が求められる状況だが、そうした決断を下す主体がいないのだ。韓国外交部(省に相当)の実務担当者らは事実上、お手上げ状態だ。外交消息筋は「日本は慰安婦合意の義務を誠実に履行したと主張しているが、その過程で謝罪・反省の真摯(しんし)な姿勢を見せず、『最終的かつ不可逆的な解決』ばかり強要し、韓国の国民情緒に火をつけた。韓日の政府は両国関係の重要性を考えて状況の鎮静化を図る方向で解決策を見いださなければならない」と語った。


この記事の最後のほうに、「『最終的かつ不可逆的な解決』ばかり強要し、韓国の国民情緒に火をつけた。」という文章が出てきます。
これは要するに慰安婦合意に対して韓国人が「情緒的に納得できていない」という現在の韓国政府の主張と全く同じものです。


要するに韓国では、国と国とが合意はしたが、それは朴大統領という道徳的に劣った存在が締結したものであり、また日本が韓国の望む慰安婦の定義を受け入れ法的責任を認め謝罪していないので、「心情的」に納得できないという意味です。


ここで問題となるのは、これは国民情緒とか民族情緒と呼ばれる概念で、この概念について韓国では法や憲法よりも上位に来る韓国の悪徳・悪習として度々批判されてきた過去があるのです。


【噴水台】 国民情緒法 中央日報 2005年08月12日


にもかかわらず、この「韓国人は合意を情緒的に受け入れられない」という主張は、国民情緒や民族情緒を批判してきた当の保守系メディアでも受け入れられており、「国家間の合意を安易に反故にすべきではない」としながらも、合意は「情緒的に問題がある」とする論調を支持しています。


これは私達の一般的な常識からすると矛盾に見えますし、国民情緒や民族情緒を「悪徳」と定義しているのになぜ慰安婦合意ではそれを支持し合意の履行こそ悪徳とするのか、全くもって理解の範囲外であるため、最初に言及した「道徳観に違いはあっても方向性は同じ」が通用しません。


この件なのですが、実は視点を変えると韓国の道徳には「結論に至る過程に規則性は存在するが結果に規則性は無い」という事がわかります。


どういう事かといえば、それは先ほど引用した中央日報の国民情緒を批判する記事にその答えがあります。


この記事を読んでみると、実際のところ中央日報は国民情緒そのものを批判しているのではなく、当時の盧武鉉政権が韓国の保守系を「親日派の子孫」として弾圧し、その口実として「親日派財産没収法」を制定したことに対する反発である事が解ります。


参考記事
韓国の親日派財産没収法のとんでもなさとその背景


つまり彼らは、「情緒」という主観的な感情によって法が歪められる事を批判しているわけではなく、それを口実にイデオロギー対立によって彼らが被る不利益を批判しているのです。


日本人の常識からはかなりかけ離れていますが、これが韓国における「道徳」の実態です。


その行為そのものを「道徳に反する」としているわけではなく、その行為によって得られる結果を「道徳に反する」と認識しているのです。
だから「結論に至る過程の規則性は存在するが結論には規則性は無い」わけです。
結果は受け取る側によって変わってくるから当然です。


そして彼らは、そのうえで「道徳性」を規範とし重視する社会なのです。


2:韓国における「道徳的対立」


こうした私達の社会から見ると矛盾にしか見えない現象は、韓国内でも頻繁に発生しています。


例えば現在の文在寅大統領は、就任後「韓国の積弊を清算する」という公約の下、政府の高官人事に関して「偽装転入」「不動産投機」「脱税」「論文盗作」「兵役逃れ」の「5大不正」に抵触した人物を完全に排除するとしていました。


そして彼はこの公約を名分に前政権より優れた道徳性がある事を訴えていたわけですが、実際の人事ではこの5大不正に接触する人物を次々と閣僚に登用したのです。


【社説】他人に厳しく自分に大甘、金相坤氏に良心はあるのか 朝鮮日報 2017/06/161/2ページ) (2/2ページ


この事例からも、彼らにとっての道徳とはその行為ではなくそこから発生する結果によって判断が変わっていることが解るわけですが、それに対して上記の朝鮮日報ではこの文政権の人事を「また最近は「自分がやればロマンス、他人がやれば不倫」という言葉もある」と、文政権の道徳性に言及し批判しています。


しかし先ほど挙げたように、その朝鮮日報も「国民情緒」での対比では「自分がやればロマンス、他人がやれば不倫」をやっているわけですから、私達の「道徳観」からすれば「どちらもただのご都合主義」となります。


このように韓国では、極論を書けば道徳と自己の利益が直接的に結びついており、私達のように「行為によって道徳性の有無が決まる」のではなく、「自己の行為が道徳的正しさと常にイコールの関係にある」わけです。


つまり、「ウリの行いだから道徳的に正しい」という結論に至るためのロジックが存在しているのです。


参考記事
韓国人独特の「ウリ」と「ナム」という概念


こうした事例は民間でも見られます。


例えば、以前から書いているように韓国では大企業の労組が非常に強い力を持ってある種の貴族化し「労組人事の世襲」まで行われており、更には「会社を潰してでも利益を得ようとする」事態まで発生した事も書きました。


そして現在、韓国ではまた同じ事が発生しようとしています。


韓国自動車業界8月危機説が拡散() () 中央日報 2017年08月08日


現在韓国は自動車業界が輸出不振に陥っているうえに、そこに中国によるTHAADに関連した実質的な経済制裁まで重なり、かなり厳しい状況に陥っています。


にも関わらず、韓国の自動車業界の労組は大幅な賃上げを会社側に要求し、受け入れられない場合には大規模なストをすると予告しているのです。


これも要するに、韓国内における「道徳の対立」です。
先ほども書いたように、韓国ではあらゆる行為を「道徳的」に判断するわけですが、その基準が自己(ウリ)の利益と直結しているため、労組側からすれば賃上げ要求は「道徳的に正しい行為」であり、会社の不振は「不道徳な言い訳」なのです。


そして更に、韓国の保守系メディアからすれば、労組の行いは「会社を潰す不道徳な行為」なのです。
ポイントは、実利や現実主義による判断ではなく、否定も肯定も「道徳性の問題」と定義されている事です。


だから溝が埋まらず、結果的に「会社が潰れるまで賃上げ要求をする」という事態まで発生するわけです。


3:「道徳観の違い」から来る問題


今回書いたように、韓国では私達の社会において現実的な利害で判断される事例が、「道徳性の問題」と定義され、あらゆる行為が道徳的に正しいか間違っているかで判断される傾向にあります。


だからこそなのですが、韓国では自己(ウリ)の利益と道徳の間に境界が無く、そのために度々自己(ウリ)の不利益になる行為を「道徳性よりも利益を優先した、なんて不道徳なんだ」と批判する傾向にあります。


(※1)
[記者手帳]道徳より実利選んだ日本…私たちは? イーデイリー(韓国語) 2017.06.06



要するにこの事例は、「安倍総理は韓国にとって不利益だから失脚して欲しい」という実利の問題なのですが、先ほども書いたように韓国では道徳性と自己(ウリ)の利益に境界が存在していないため、この記事のように「日本国民は道徳性よりも実利を選んだ、なんて不道徳なんだ」となっているわけです。


これがあるため、韓国との間の問題には決着が見えない面があります。


要するに、韓国ではあらゆる事象が個人の心情に強く左右される「道徳」によって判断されるため、「客観的な利害による決着」が殆どの事例で期待できないのです。
常に道徳性に基く心情の問題で白黒つけようとするからです。


だからこそ、対北朝鮮で必要なはずの軍事情報包括保護協定(GSOMIA)すらこんな事になるわけです。


日本との軍事協定 59%が反対=韓国世論調査 聨合ニュース 2016/11/18


現実的に見て、韓国にとってこの協定は利益はあっても不利益はないのですが、「道徳性」で判断しているので「不道徳な日本と軍事協定など結べない」となっているのです。


日本と韓国では、このように道徳という単語一つ取ってもここまでの違いがあります。
日本人から見ると首を傾げたくなるような韓国の振る舞いは、このように物事の判断を行ううえでの「大前提が異なっている」事が原因となっている事例があるわけです。



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(※1)
[記者手帳]道徳より実利選んだ日本…私たちは?
イーデイリー(韓国語) 2017.06.06
http://www.edaily.co.kr/news/NewsRead.edy?SCD=JH11&newsid=01748246615959096

今年に入って日本は安倍晋三総理をめぐる醜聞が絶えない。今年はじめ、安倍総理夫妻と縁がある私学財団・森友学園が政府敷地を安値で買いとったという容疑が提起された。この容疑がまだ進行中に安倍総理の友人が理事長である私学財団・加計学園が特典を受けたことが明らかになった。このため総理室傘下の様々な部署が介入したという文書が登場した。安倍自らこの学園の役員だったことも確認された。

ここまでいけば容疑ではない。安倍総理は議会でこの事実を否認したがこれを信じる国民は殆どいない。日本国民はしかし相変らず安倍を支持する。支持率は相変らず50%を越える。去る5日日本JNN放送の調査で54.4%を記録した。問題がふくらむたびに減るが大幅ではない。2012年12月に始まった安倍政権はいつのまにか4年半のロングランになてしている。すでに1945年、第二次大戦後三番目に長い内閣になった。歴代のどの政権よりも日本国民の粘り強い支持を受けている。安倍が来年秋、自民党総裁選挙で3選に成功すれば初代朝鮮総督府総監でもある伊藤博文元総理の在任期間を越える歴代最長総理になりうる。

日本国民は政界の道徳性より実利を選んだ。日本は1990年代に始まった20年長期低成長を経験した。また、安倍第二次内閣直前の6年間、総理が6度も変わる政治的混乱も体験した。こうした中で選択したのが安倍だ。安倍総理は本人と自身の政権をめぐるスキャンダルを背にして「ベノミクス」とよばれる経済優先政策を力強く押し通している。アジア周辺国の反発を押し切って軍国化、自国優先主義を推進する。保守自民党が好きではなかった若い労働者層もしかたなく安倍内閣を支持している。

これを見守る最近の私たちの総理・長官の人選過程に視線を転じれば気がつくことが多く有る。政界が突然、道徳潔癖症に陥った。現行法違反でもない小さな傷一つ一つを言葉尻を捉えて政争する。国民が本当に知って判断しなければならない政策の方向性に対する論争は消えた。道徳性に目をとじてしまった日本が良いというのではない。私たちが道徳的優位を越えた潔癖症に陥る程、余裕はないということだ。すべき仕事が多い。憲政史上初の大統領弾劾という政治的混乱の終わりにできた政権だ。沈滞した経済も生かさなければならない。

複雑な国際情勢の中に私たちの生きる道を探さなければならない。