日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国社会と「共感」


さて、本日は以前書いた「韓国では被害者が一番偉い」に関連した内容となります。


他者との共感とは、人間社会において非常に重要な要素ではあるが、国ごとの創作物などをみていると国や民族、或いは特定の文化圏でどんな事柄に強く共感するかが微妙に異なっている事はよくある事で、日本でも外国の映画などで共感がつたわらず「理解されない=人気が出ない」事などはよくある。


日本と韓国の間でもそれは同じで、韓国の場合社会が強く共感しまとまる事柄で最も頻繁に見られるのは「被害者になること」であり、以前から書いているように序列社会の韓国では、被害者になることができれば高い序列と「道徳的正しさ」が保障されるため、自分達(ウリ)が被害者であると訴える事は強い連帯感を得ることが出来る。


日本と韓国の場合、この価値観の違いを理解しないまま韓国に求められるがままに日本が「便利な加害者」を演じ続けた結果、韓国はありとあらゆる社会問題で日本を加害者にすることで解決する行為を繰り返してきた背景があり、この事は現在の日韓問題とも深く関わっている。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:韓国起源説でも被害者


まずはこちらの記事から

[蒼龍門]王桜の木
京畿新聞(韓国語) 2017年3月26日
http://www.kgnews.co.kr/news/articleView.html?idxno=477648

葉が出る前に花から咲くとして「葉花」とも呼ばれる桜は、現在130種以上が我が国で自生している。

そのうち、王桜は形や色が最も華やかで人々から格別な愛を受けている。

王桜は世界的に唯一、済州道にだけ自生する特産植物である。

このような私達の固有の花であるにもかかわらず、「桜=日本」という等式を打ち出した日本の主張に巻き込まれて100年以上、原産地論争を経験することがあった。

1908年4月、宣教活動をしていたフランス人タケ神父によって自生王桜が済州で最初に発見されたにもかかわらず、日本は王桜の自生地と起源が、「伊豆大島自生説」「雑種起源説」「伊豆半島発生説」があると主張し、「済州島自生説」を否定してきた。

そんな中、1962年には日本国内の三箇所を除いた済州島で王桜の自生地が発見され、国際植物学界で原産地であることが確認された。

しかし、日本はなかなか認めようとしなかった。

さらに、中国が桜の故郷は中国にあり唐時代に日本に渡ったと発表し、起源論争が加熱した。

まるで自尊心対決をするように木をめぐって行われた原産地論争は、最終的には昨年、確実に幕を下ろした。

昨年5月、済州市奉蓋洞の南東側斜面で、樹齢265年とされる王桜が発見されたものである。

木の高さは15.5m、根元周囲は4.49mにもなり、これまでに知られている王桜の中で最大の大きさだ。

この木の年齢は木片を抽出・分析し推定した。遺伝子分析の結果も自生王桜であることがはっきりした。

桜をめぐる韓・中・日の起源論争で、済州島が唯一の王桜の自生地であることをもう一度確固たるものにした快挙でもあった。

3月末から4月初めまで全国の通りをピンク色に美しく彩る桜。

1901年、東京大学植物学教授であったマツムラジンゾウが「プルヌスエドエンシスマツムラ」という学名の日本の花に化けさせ、世界の学界に登録して国花の扱いを受ける、その桜の祖先が私たちの王桜という事実がこの時になると思い浮かぶが、考えれば考えるほど嬉しさでいっぱいである。

この節、済州ではぱっと咲いた王桜が盛んだという。

そして間もなく、北上する花信続きでうれしい。


類似記事
(※1)
王桜花100年論難「済州が真の原産地」 聨合ニュース(韓国語) 2017/03/26
【オー!クリック] 韓・中・日の原産地論争ずっと...「100年桜戦争」 SBS(韓国語)  2017-03-27



毎年のソメイヨシノ韓国起源説なのですが、今年の特徴として「(タケ神父やケーネ教授、小泉源一博士らによって)韓国原産で確定していたにも関わらず、日本が横槍を入れてきた事で100年も続く論争になっている」といった論調が増えてきており、恐らく日本側が「別種である」という事を公言し韓国側主張を否定してきたため、「被害者になろうとしている」のでしょう。


ちなみに余談になりますが、韓国がソメイヨシノの起源主張をするようになったのは20年ほど前からです。


関連記事
今年のソメイヨシノの韓国起源説


また今年はこれまであった「王桜を日本に持ち込み交雑させた園芸種がソメイヨシノ」という説が殆ど主張されなくなっており、ほぼ「ソメイヨシノは王桜そのものであり、自生地は済州島が唯一である」といった論調に統一されている事から、「被害者としての論調」が今の流行のようです。


これは先ほども書いたように、日本の森林総合研究所が「王桜(和名:エイシュウザクラ)」はエドヒガンとオオヤマザクラの自然交雑種であり、ソメイヨシノエドヒガンにオオシマザクラヤマザクラの自然交雑種が交配された園芸種であり、完全に別種であると発表したからです。


日本人の感覚からすると、ソメイヨシノが接木や挿し木によって増える同一個体のクローンであり、また上野公園の元寛永寺敷地だったエリアから、クローンの原木となった個体らしき木が発見されているのですから、「自生種である事に拘る」説はむしろ論調の劣化のように見えます。


しかし韓国的発想では大きく考え方が異なります。


韓国においては、「正しい」とは「上位の序列」や「優れている」あるいは「正義」と同じ意味を持っており、また「被害者になること」は=序列の上位に位置する=正しいと同じ意味を持つため、他者から「あなたの主張は間違いである」と指摘された場合、加害者=序列が下位、劣っている、悪と定義されます。


ですから、別種であると日本側から指摘されたという事は、日本人の想定する「持論が否定された」とは全く別の意味を持っており、なんとかして韓国的定義における加害者から被害者に成り代わらないと、自分達(ウリ)は劣等となってしまいます。


そのため、上記のように「自生地は元々韓国の済州島にあるにも関わらず、日本が横槍を入れて100年も論争になってしまっている」と、明確な被害者になることで自分達の正当性を主張するほうが「合理的」となるのです。


「王桜を日本人が他種と交配させソメイヨシノを作った」では、考え方によっては別種ともとれることから、この状況ではより強く被害者と訴えることが出来る「韓国の自生種を日本が奪って日本産にしてしまった」のほうが「被害者として正しい主張」と考えるわけです。


また韓国のこうした価値観から、「自分達こそ被害者である」と訴える事は非常に強い共感や連帯感が生まれ易く、だからこそ私達から見ると主張の劣化にしか見えない自生地説が現状は主流となっているわけです。


2:ムクゲの受難


このような韓国の考え方は、別の方面からも見て取れます。


たとえば、韓国では一般的に「ムクゲが国花」とされているわけですが、実際にはムクゲよりも桜の方が人気があります。


そのため韓国では度々民族主義国粋主義の観点から「王桜よりもムクゲを大切にすべきだ」という主張がなされているのですが、民族主義が強い傾向にある社会にも関わらず実はこれがあまり効果を挙げていません。


そのためこのような主張をする人々は、より多くの共感を得るために「被害者になること」でムクゲをアピールしようとします。
たとえば以下の事例などが典型的です。


(※2)
[イ・ジョンソンコラム]「植民サクラ」 アジアタイムズ(韓国語) 2017.03.29


こちらの記事では、「日本が朝鮮を強制併合する過程で支配のために桜を植え、強制的に花見をさせた」と主張しています。


またそれと同時に、ムクゲに対しては以下のように扱ったとしています。


一方、我が国の国花ムクゲは徹底して「弾圧」した。子供たちにはムクゲを真っすぐ見つめれば花のまん中にある真っ赤な葉のように瞳が変わると教えた。眼病になると怖がらせたのだ。ムクゲには肥料を与えてはいけないとした。肥料を与えなかったムクゲはまともに花が咲かなかった。葉と幹が弱りアブラムシなど害虫が沸いた。日がよくあたるところにも植えないようにした。太陽の光がよく入らない家のお手洗いやごみ箱の近くに植えるようにした。ムクゲは縮むほかなかった。


日本人からみるとあまりにも荒唐無稽なうえに意味不明ですが、それはあくまで日本人の価値観では「被害者になる」事に韓国のような考え方が無く、被害者は「同情に値する」対象であっても、「正しい」とか「上位の序列」という意味を含んでいないため共感を得られないからです。


しかし韓国においては、被害者になる事はそれだけ自身の正しさや序列の高さ、道徳的な優越性を証明する事に直接繋がるため、「日本はムクゲを弾圧したのだ」といった主張をすると共感を得られ易いわけです。


ちなみに、ムクゲに関しては他にも様々な陰謀論的な「日本のせい」が存在しており、それらが大抵「ムクゲ復権運動」と関係しているのですが、過去に韓国の山林庁がそうした俗説を公式に否定したにも関わらず、一向になくなる気配がありません。


(※3)
ムクゲ枝刈りは日帝がまき散らした俗説のせい? ハンギョレ新聞(韓国語)  2016-08-12


中には、「唐の欧陽詢が著した『芸文類聚』などには「君子の国にムクゲが多い」という記録がある。これらの書物は「君子の国」すなわち韓国の名を挙げ、ムクゲの原産地が韓国であることを明らかにしている。」という謎理論で、「日帝に迫害されたムクゲ復権させよう」と主張している大学教授までいます。


寄稿】日帝に迫害されたムクゲ、国花にふさわしい学名を 朝鮮日報 2015/10/18


このように韓国では、持論を他者に共感して受け入れてもらうために、頻繁に「被害者になる」論調が使われています。


結局のところ、ムクゲに関しては単に韓国人が注目していないから今の有様なだけであり、典型的な「自身の行いすらも他者のせいにしてしまう」韓国的価値観の結果でしかなく、むしろソメイヨシノ韓国起源説を主張しているためにムクゲが省みられないのが実情です。


そしてその状態を覆しムクゲ復権させようとする動きさえ「日本のせいでムクゲが省みられない」とやってしまっているがために、現在の韓国ではムクゲ人気が復活しないにも関わらず、ムクゲに関する日帝陰謀論は広く信じられている状態になっています。


現在の韓国でムクゲに人気がない事を、韓国の事情で日本のせいにされてしまっているわけです。


3:安易に「加害」を容認しすぎた日本


今回書いたように、韓国においては「被害者になること」が最も他者からの共感を得易いという社会的な背景があります。


「何に共感を得易いかの違い」自体は何も特殊な事ではなく、国や民族、或いは文化圏が異なれば「どんな事に共感を得易いか」が異なってくるのは当たり前のことで、単に韓国では「こうだ」というだけです。


そのうえで一つ問題があるとすれば、これまで日本は安易に「韓国の加害者になりすぎた」事でしょう。


そのため韓国では、様々な社会問題の解決のために「日本のせい」を共感を得るための材料として利用するような状態になっています。


たとえば最近の事例では以下の2つが典型的です。


(※4)
[イ・ヒヨンのグローバル時代]「清涼里(チョンニャンニ)588」撤去と売春国際化 聨合ニュース(韓国語) 2017/03/28
日本に虐殺されて軍用毛皮で利用された私たちの犬 朝鮮日報(韓国語)  2017.03.31


最初の事例では現在の韓国の売春街の問題を「売春は日本が韓国に持ち込んだ文化だ」と被害者になることで、この問題の社会的な共感を得て問題を解決しようとしており、次の事例では韓国固有種の犬の保護に世間の注目を集めるために、「日本が虐殺していた」と宣伝しています。


まず最初の事例は根本的に「元々朝鮮に売春を本業とする集団がいなかった」という話が論外なのは誰にでもわかることでしょうし、そもそもキーセンは明らかに売春業です。
単にキーセンには階級があり、上位の階級は売春以外にも仕事があったというだけです。


また後半の事例では、たしかに韓国の犬の毛皮を軍の防寒具として利用していたのは事実ですが、記事にあるように強引にあつめて「虐殺していた」のではなく、養殖場を作って増やして毛皮を取っていただけであり、悪意を持って「絶滅させようとしていた」わけではありません。


ではなぜこんな話になっているかといえば、前者の事例では現在の韓国の売春街の問題提起に関心と共感をもって欲しいからであり、後者の場合には韓国固有種のサプサル犬に、同じく固有種の「珍島犬」ほどの注目度がない事から、もっとサプサル犬保護に注目して欲しいからです。


そして韓国では、今回書いたように「被害者になると社会から共感され易い」特徴があるため、上記のようなストーリーを作り上げて問題提起をしているわけです。


そして被害者と対になる「加害者」として日本が選ばれているのは、これまで日本が安易に韓国の求めに応じて「加害者になり続けてきた」からです。


これまで何度も加害者になり続けてきた結果、韓国では何か問題が起きるたびに「便利な加害者」として日本を引き合いに出すことが習慣化した結果、今回書いたように韓国において「社会問題解決のための手段」として定着してしまったのです。


そして現在、韓国では様々な問題を「日本のせいにする」事が日常化した結果、それが日本で反日と定義され現在のような状態を作り出す原因の一つとなっているのです。


結局のところ、これも日本人が韓国人の価値観を理解しないまま、日本人の価値観を絶対視し違いを考えなかった結果の一つというわけです。


今後こんな事は続けてはいけません、安易に韓国の望む「加害者である事」を許容するような態度を取っていては、結局これまでの繰り返しとなってしまうだけです。
韓国的価値観では「被害者になること」が最も社会的に共感を得易いのですから。



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(※1)
王桜花100年論難「済州が真の原産地」
聨合ニュース(韓国語) 2017/03/26
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/03/24/0200000000AKR20170324174900056.HTML

(済州=聨合ニュース)ピョン・ジチョル記者=済州の王桜祭りが五日後に迫った。

20m近くになるすらりとした王桜の木から豊かに咲き始めた桜の花でトンネルを成した祭り会場は、時折雪のように舞う花が幻想的な景観を作り出す。

世界唯一の王桜の自生地、済州。

学界の遺伝子分析と相次いで発見された自生王桜の存在だけで、100年以上続いた原産地論争を鎮静化させるには十分だ。

◇王桜の原産地は「済州」
昨年5月に済州山間で最高齢の自生王桜が発見されて話題になった。

海抜607mの高さの済州市奉蓋洞の南東側斜面で、樹齢265年になる王桜の木が発見されたのだ。

木の高さは15.5m、根元周りは4.49mもなり、今までに知られた王桜の中で最大の大きさだ。 この木の年は木片を抽出・分析して推定した。

これまで知られた最大かつ最古の王桜は、天然記念物159号「奉蓋洞王桜自生地」の3本のうちの一本だ。この木は高さ15m、根元周り3.4m、樹冠幅15m、推定樹齢200年だ。

最高齢の王桜の発見は、桜をめぐる韓・中・日の原産地論争で済州道が唯一の王桜の自生地であることをもう一度確固たるものにした快挙だった。

王桜の原産地論争は今から100年以上前にさかのぼる。

1908年4月、宣教活動をしていたフランス人のタケ神父によって自生王桜の木が済州で初めて発見された。

彼は漢拏山の標高600m地点にある観音寺付近で王桜を発見し、標本を採集してドイツの植物学者・ケネー博士に送り、日本の桜の中で最も有名な品種であるソメイヨシノ(染井吉野)と同じだという鑑定を受けた。

さらに、1932年4月、日本京都大学の小泉博士も、漢拏山南側の地点で自生した王桜を発見すると、事実上、済州が王桜の自生地であることを認めた。

しかし、記録があるだけで自生王桜の木の実体が済州で発見されなかったために、日本の他の植物学者らはこの事実を信じようとしなかった。

我が国の植物学者らは、王桜の野生種が日本にはなく唯独、済州で発見された記録が出る点などを挙げて、王桜の原産地は済州であり日本に渡って広がったという仮説を立て、日本の学者らは、日本にも王桜の木の自生種があったが広く栽培される過程でなくなったのだと、反論してきた。

議論が熱く展開されていた1962年4月パク・マンギュ、ブ・ジョンヒュ博士らが王桜の木の自生地を発見し、名実ともに済州が王桜の原産地であることを宣言することに至る。

以後、2001年4月に山林庁林業研究員チョ・ギョンジン博士のチームは、DNA分析を通じて日本にある王桜の原産地が済州漢拏山であることを明らかにした。

2014年11月には成均館大学生命科学科キム・スンチョル教授の研究チームが、済州島にある王桜の起源を明らかにし、国際学術誌である「米国植物学会誌」(American Journal of Botany)にも載せた。

その中、2015年3月にはホ・チュンル(何宗儒)中国桜産業協会執行主席が記者会見を通じて、「韓日両者はどちらも原産地を論じる資格がない」とし、「多くの史料は桜の発源地が中国という事実を証明する」と主張して論争が韓中日の3国に拡散した。

しかし、これは桜自体の起源を、中国と言うことで、一般的な桜と他のソメイヨシノの起源論争とは外れたと主張している。

ソメイヨシノは、世界的に済州島のみ自生する特産植物で木の背が高く壮大な育ち、花より葉が先に育つ一般桜とは異なり、花が先に咲き、花茎とアムスルデに毛があり、花茎かに花が複数の走って他の桜に比べて派手という特徴がある。
(後略)

【オー!クリック] 韓・中・日の原産地論争ずっと...「100年桜戦争」
SBS(韓国語)  2017-03-27
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=055&aid=0000516670

長かった冬が去り、いつのまにか花咲く春が近づいてきました。

済州王桜祭りを四日後に控え、100年以上続いた王桜原産地論争が注目を集めています。

<オー! クリック>三番目の検索ワード、「100年桜戦争」です。

桜をめぐる韓中日の原産地論争は100年以上続いてきました。

1908年4月、宣教活動をしていたフランス人のタケ神父によって、自生の王桜の木が済州で初めて発見されました。

この時に発見された王桜は、日本の桜の中で最も有名な品種であるソメイヨシノと同じだという鑑定を受けましたが、実体が残っていないため、日本の他の植物学者たちはこの事実を受け入れませんでした。

しかしその後、王桜の木の自生地が発見され、2001年4月に(韓国)山林庁がDNA分析を通じて、日本にある王桜の原産地が済州漢拏山であることを明らかにしました。

昨年は、済州の山間で最高齢の自生王桜が発見され、済州が世界唯一の王桜の自生地であることをもう一度確認することができました。

王桜は、20m近くになるすらりとした背と他の桜に比べて華やかな姿が特徴的で、今年の桜は例年より早く、西帰浦では20日に咲き始めていて、来月6日、ソウルまで順次北上するそうです。

ネチズンは「花道を歩きに行こう!」、「ジャンボムジュンの年金収穫時期が来ましたね。」などの反応を見せました。


(※2)
[イ・ジョンソンコラム]「植民サクラ」
アジアタイムズ(韓国語) 2017.03.29
http://www.asiatime.co.kr/news/articleView.html?idxno=147562

日本は朝鮮を「強制合併」するやいなや桜の花を大々的に広めた。「合併」翌年の1911年、昌慶宮(チャンギョングン)を昌慶苑に格下げさせると数千株の桜を植えた。木が結構育った1924年からは夜間に公開し始めた。

「夜の花見」はこの時から毎年欠かさず行われた。彼らは人が多く集まる場所ならどこでも桜を植えた。官公庁、大通りの傍、遊園地などに桜の花があふれた。管轄官庁で責任をもって育てるようにした。

一方、我が国の国花ムクゲは徹底して「弾圧」した。子供たちにはムクゲを真っすぐ見つめれば花のまん中にある真っ赤な葉のように瞳が変わると教えた。眼病になると怖がらせたのだ。ムクゲには肥料を与えてはいけないとした。肥料を与えなかったムクゲはまともに花が咲かなかった。葉と幹が弱りアブラムシなど害虫が沸いた。日がよくあたるところにも植えないようにした。太陽の光がよく入らない家のお手洗いやごみ箱の近くに植えるようにした。ムクゲは縮むほかなかった。

「標本室の雨蛙」で有名なヨム・サンソプ(廉想渉・1897~1963)はそのようなお花見が腹立たしかった。「このごろ朝鮮でもお花見が増えたようだ.…朝鮮の色と桜の色が似合うのか、私は明言できない。…桜の花は朝鮮の天のように大きく清明な自然の色では自分の光を自分の光のまま出すことはできないだろう。…朝鮮の癒着した瓦の屋根の上から、あばらやのわらぶきの家の垣根越しに桜を眺めれば、それはどうしても『植民桜』というものだ。…」

日本の人々は秩序をよく守るという。しかし、お花見だけはそうではない。「譲歩という言葉が通じない。夜のお花見を計画した職場や団体は前日の夜、すでに先遣部隊を公園に派遣する。派遣隊はテントや寝袋を準備して最初から自分が確保した席で夜を明かす。奪われないためには守らなければならない。…」

礼儀正しいという日本の人々がお花見をするときはめちゃくちゃになるのだ。「…ごみ箱がなく、お手洗いがない。酒を飲んでぎゃあぎゃあ大声を張り上げるのが普通で、カラオケまで持ち出して声を限りに歌を歌う。社会団体のキャンペーン、警察官の警告などすべての制約が無意味だ・…」<ムクゲと桜の花が会って何か花を咲かせようか、アン・ソンホ著>

日本の人々はこのように「ハナミ(花見)」をしているという。「ハナミ」のためには秩序も譲歩も無視しているという。私たちもその日本に似つつある。桜の花がぱっと開いたソウル、汝矣島(ヨイド)は夜通し超満員で不夜城だ。人々が多く駆せ参じて交通統制するほどだ。メディアはその桜の花を「中継」までしている。開化時期が例年よりはやい、遅いという記事を毎年欠かせなくなっている。

王桜の「原産地論争」も欠かさない。正しい政党ホン・ムンピョ議員が調査したところ、全国で「桜の花」を主題にした祭りが22もある。このうち、77.3パーセントである17は祭りの名前に「桜の花」を明記しているという。「桜の花マラソン大会」というものも開かれる。独島(ドクト、日本名:竹島)を譲り渡して、少女像を片付けてしまっても、おそらくお花見だけは続くのだろう。


(※3)
ムクゲ枝刈りは日帝がまき散らした俗説のせい?
ハンギョレ新聞(韓国語)  2016-08-12
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/756362.html

光復節を控えて山林庁が12日から世宗(セジョン)市湖公園などで「第26回国花ムクゲ全国祭り」を開くなどムクゲ愛の雰囲気を作ろうとする中、ムクゲの剪定をめぐる論議が新たに提起されている。

山林庁がムクゲの木の管理次元で適切な剪定と間引きをするよう推奨する反面、一部の市民の間で過度に切られたムクゲの姿がみすぼらしく、結局、国民に愛されないという主張があるからだ。

一部では日帝強制支配期に日本が韓国の国花ムクゲの繁盛を防ぐために「ムクゲは切った方が良い」という俗説をまき散らしたという主張も提起される。普段からムクゲに関心が強いという市民チェ・ドンウォン(64)氏は「愛国歌に'ムクゲ三千里、華麗な山川」という一節が出てくるようにムクゲは国花」とし、「しかし、私たちの周囲ではムクゲの木を探すのさえ難しく、あってもバッサリ切られて短い鉛筆の形をしている」と指摘した。

チェ氏は「こうなったのは日帝の悪計が大きな原因という話を小さいころ、まわりの大人から聞いた。日帝は韓国の国花ムクゲを全部抜いてしまいたかったが、そうすれば韓国人の国民的な抵抗にあうと思って、'ムクゲは切ってこそ良い'と甘言利説をまき散らしたという」と伝えた。

彼は「こんな悪計が俗説に固定されて今も続き、ムクゲがまともに育って花を咲かせる前に無惨に切られて短い鉛筆のような美しくない姿で愛されずにいる。日帝のこういう姿勢は尊厳のある昌慶宮(チャンギョングン)の宮殿中に動物園を作って昌慶苑と呼び、宮殿のイメージを傷つけ、朝鮮の精気を防ぐために南山(ナムサン)に杭を打ち込んだのと脈を一つにする」と強調した。

しかし、山林庁はこのような主張について「文献にも記録にも残っている根拠が全くない」と反論した。ムクゲは木だが木自体を鑑賞するのではなく、花を見ることが目的だけに、花が大きくてたくさん咲くようにするなら剪定が必要だという技術的判断から剪定を推奨するということだ。

山林庁が昨年配布した「国花ムクゲ植栽および管理指針」パンフレットには「ムクゲはみな育てば頂芽の優勢性が弱くなり、そのまま放置すれば主幹が明確に発達できずに、樹形が全体的に半円形または、長打円形になるのが一般的」とし、「従って適切な剪定と間引きをして胴が詰まるのを解消し望む樹形に誘導することが望ましい」と記述されている。

山林庁関係者は「一部の請願者は'国花になぜ、はさみ作業をするのか'と抗議するけれど、剪定は木を育てる技法上必要なこと」とし、「誤った剪定事例もあるが、ムクゲに剪定をすること自体が問題とすれば困る」と反論した。

彼は「'ムクゲを近くで見ればおできができるという流言を日帝がまき散らした'という話も伝えられるなど、ムクゲと関連した俗説は少なくないが大部分根拠がない。ムクゲの見た目を悪くするために日帝が剪定を誘導したという主張も文献上記録が全くないだけに根拠がない」と話した。


(※4)
[イ・ヒヨンのグローバル時代]「清涼里(チョンニャンニ)588」撤去と売春国際化
聨合ニュース(韓国語) 2017/03/28
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/03/27/0200000000AKR20170327158600371.HTML

(ソウル=聯合ニュース)イ・ヒヨン記者=ソウル東大門区(トンデムング)典農(チョンノン)1洞602~624番地。よく「清涼里(チョンニャンニ)588」と呼ばれるここは釜山(プサン)「玩月洞(ワンウォルドン)」、大邱(テグ)「砂利の広場」と共に全国3大集娼村の一つ。わずか数年前だけでも、この一帯では官能的な身なりをした数百人の女性が大型のガラスドアを開いて多くの男性を誘惑する声が絶えなかった。2004年、売春防止特別法が発効され、今は爆撃にあった戦場のように廃虚に変わった。
(中略)
我が国には公認された売春業がなかった。女寺党やキーセン(芸者)などが身体を売ることはあったが売春が本業ではなかったし集団で売春がなされる場所もなかった。韓国の売春業は開港後、日本人と共に流れてきたものだ。日本では16世紀後半から遊郭という公認された性売買集結地が形成された。

1895年、日清戦争終結後、日本軍の駐屯地付近に料理屋や旅館を装った風俗会社が生まれ、1902年7月24日釜山(プサン)新昌洞(シンチャンドン)に最初の遊郭である安楽亭の看板を掲げた。周辺に類似会社が入って場所が狭くなると1907年、席を移して玩月洞(ワンウォルドン)売春街の根元を成す。
(後略)

日本に虐殺されて軍用毛皮で利用された私たちの犬
朝鮮日報(韓国語)  2017.03.31
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/03/28/2017032802594.html

私たち民族と運命共同体だったサプサル犬の受難は1931年、日本が満州事変を起こして始まった。北方に進軍する軍人の防寒用軍需品が必要になり、日本は犬の皮をもの欲しげに見た。その中でも私たちのサプサル犬は長い毛と防湿・防寒に卓越した皮を持っており、集中攻撃の対象になった。

1939年、日本は犬皮の配給統制に関する法令を発表する。翌年は原皮需給を独占する朝鮮原皮販売株式会社を設立し、この会社を通じてだけ犬皮が流通するようにした。犬皮収集が国策になったのでむやみに売買してはならないと釘をさした。このような固有犬撲滅作戦は世界史にも例がない。

「朝鮮固有犬ホロコースト

また、日本は太平洋戦争に必要な軍用食糧と毛皮を得るためにサプサル犬を大量屠殺した。白丁に犬を捉える権限を与える代わりに犬皮を供出させた。その過程で全国の犬が消えた。犬は軍需品工場で日本軍が着るコートと長靴に変わった。サプサル犬だけでなく韓国固有種の慶州犬「東京犬(トンギョンイ、「東京」は慶州市の古名)も迫害対象だった。

民族抹殺政策が行われた1932年、日本は自分たちが目出度い獣と狛犬に似ているという理由だけで東京犬を全て捕らえて種を絶やした。新羅時代から飼育されたこの慶州犬の最も大きな特徴は尻尾がなかったり短いことだ。民間では尻尾がないという理由で「バカ」と過小評価されて多数が減った東京犬は日帝強制占領期間を経て徐々に消えた。(現在の東京犬は天然記念物第540号に指定された。これは固有犬として珍島(チンド)犬(第53号)とサプサル犬(第368号)に続き3番目だ。)

朝鮮総督府傘下林業試験場が1942年、総督府に提出した報告書には当時、韓国犬の分布と頭数、犬皮の品質と供出量、今後の需給予想などが地域別で詳細に記録されている。日本のコロク・タケキ農学博士が作成したこの報告は犬皮追加供出計画をたてるために朝鮮総督府が指示して、この分野の専門家のコロク博士が実状を把握して作ったものだった。

報告書によれば一年平均約10~15万匹の韓国固有犬が屠殺されたと記録されている。しかし、韓国関係者の証言によれば実際に虐殺された固有犬の数はこれをはるかに上回る。サプサル犬だけでも約50~100万匹ほどが命を失った。

珍島犬天然記念物指定は日本がした

1930年代に入って日本内部では日本固有犬種の研究と保存熱が高まった。秋田犬、紀州犬北海道犬などを保護する会が組織され、日本政府もこれを天然記念物指定して国家的な保護運動が起きた。1938年、朝鮮総督府は韓国の珍島(チンド)犬を天然記念物指定した。珍島犬を保存しようとする純粋な気持ちではなかった。日本と朝鮮は一体という内鮮一体思想を前面に出しながら朝鮮固有犬を保存するという名分を得るための見せ掛けであった。

これで秋田犬、紀州犬北海道犬など日本の固有犬と類似の容貌を持っていた珍島犬は災いを免れたが、珍島犬以外の他の固有犬を全て家系図のない野良犬として扱い、安心して捕らえられるようにして日本犬とは顔付きが全く違うサプサル犬をはじめとする私たちの固有犬は無惨に死んでいった。
(後略)