日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国社会の「主観的・絶対的正しさ」に対する考察2


さて、本日は以前書いた「韓国社会の「主観的・絶対的正しさ」に対する考察」とは別方面から彼らの「正しさ」に対する考え方について書いていきます。


韓国を観察していると解る事として、「正しい」と「優れている」と「正義」が同一視される傾向にあり、結果として「正しさ」を実現させるために法や憲法を逸脱した行為が社会的に肯定されるという現象が発生している。


また、日本の行為(竹島の日等)を挑発行為と批判しながら、自分達は積極的に国際的な竹島(独島)問題の広報を行うなど、客観的な視点では二重基準に該当するような矛盾した態度を取るなど、自身の行いを絶対的な善と定義し、日本の行いを悪とするような態度が見られるのもこれに該当する。


このように、韓国では「正誤」と「優劣」と「善悪」が同一視され不可分の傾向にあるからこそ法や約束が軽視される傾向にあり、日本人の認識とは大幅に異なっている事を注意しないといけない。


※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
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1:法治が情緒=善悪論で覆る社会



まずはこちらの記事から

【時視各角】我々は戦争をしているのではない=韓国(1) (2)
2017年02月24日10時53分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
http://japanese.joins.com/article/164/226164.html
http://japanese.joins.com/article/165/226165.html

(前略)
次期政権の安定性という項目で統合と協力政治を語る安熙正が清算と怒りを叫ぶ文在寅より少しましに見える。最近の「善意と怒り」論争がその試験台だった。安熙正は「朴槿恵大統領も善良な意志で国民のために良い政治をしようとした。法と制度に従わず問題が生じた」〔19日の釜山(プサン)大学即席質問即答行事〕と話した。これを伝え聞いた文在寅は「安知事の話には怒りが欠けている。不正に対する怒りなしでどのように正義を正しく行うのか」と反論している。安熙正は「国家指導者の怒りは惨事をもたらす」と言った。文在寅は再び「怒りは定義の出発」と言うと安熙正は「正義の結論は愛」と対抗した。

この論争の後に安熙正は自分の所信のために心が傷ついた人々に謝罪すると言った。朴槿恵を悪の花であると信念化した人々が傷ついただろう。それでも安熙正の精神が間違っているとはみなさない。

すべての市民に善意で接して法を犯した分懲罰するという安熙正の考えは引き裂かれた民心を繋ぎ合わせるのに適した政治観だ。大統領弾劾政局は「朴槿恵の違法性」を審判することで留まるべきだ。「朴槿恵の悪意性」は証明できない。文在寅の怒りも朴槿恵が犯した違法性を罰するところまで使うのが適当だ。朴槿恵の存在全体を否定したり消滅させようとすれば朴槿恵の善意を信じる勢力と衝突するほかない。ソウル広場に太極旗の人波が突然増えた理由は何か。現場では「朴槿恵の違法は認めるが朴槿恵魔女狩りするように悪の化身に追い込むのは耐えられない」という話を多く耳にする。正義を打ちたてるための怒りでも悪意を暴こうとするのは困る。怒りが憎しみを生み、憎しみがより大きな憎しみを生むだろう。そうなれば政治の破綻だ。政治がないところには選挙もない。そうなってはいけない。我々は戦争をしているのではない。

安熙正は釜山大学の行事で善意論の最後をこのようにまとめた。「誰かに反対しようとする政治では未来が開かれない。誰かを非難する存在として立っていたら自分の人生が非常にもったいない。」


上記の記事では、安熙正氏が弾劾裁判で「(朴大統領の)違法性の有無を審議しないといけない」としているのに対し、文在寅氏は「朴大統領の悪意を裁くのだ」と訴えて対立している事が書かれています。


この事例の場合、明らかに文氏は「朴大統領は悪意性があるのだから」と、司法判断を超えた国民情緒という韓国独特の考えに根ざした善悪論(※)による裁判を要求しており、これが韓国内で大きな支持を集めています。



非常に厄介な韓国人の国民情緒・民族情緒


要するに、現在の韓国では朴大統領の弾劾裁判を「違法性があったかどうか」ではなく、「朴大統領は(国民情緒的に)悪だから断罪されるのだ」という認識が、少し前まで特定の日本のメディアなどが「民主主義の正しい姿だ」としていた人々の間で主流となっていることがわかります。


この事から、韓国においては違法か合法かの問題が、「国民情緒」の問題と不可分の関係にある考え方が受け入れられやすい傾向にあり、また以前から書いているように韓国は徹底した序列社会であり、劣等性を指摘された側は「下位の序列」と定義されることもこの件に関係します。


(韓国は対等の概念が希薄な序列社会であるため、間違っている=正しくない存在と社会的に認定されると、同時に劣等な下位の序列と定義されます)


この事から韓国においては、正しいか間違っているかという問題が、感情的な優劣や善悪の問題と=の関係にあり、この考え方が法治主義よりも優先されている傾向にあるため上記のような状態になっているわけです。


こうした考え方があるため、韓国では法の下で判断されるべき問題が法の下の判断を超越した善悪論になりやすく、最近も朴大統領に関連した裁判で朴大統領の弁護士が訴追委員団の事を「北朝鮮式の政治弾圧」「国会はヤクザ」と善悪論で罵っていたという事例があります。


また本来、朴大統領の弾劾を巡る判決で憲法裁判所がどのような結果を出そうと、法治主義国家の住人はその判決を受け入れる必要があり反対する場合も法的手順を踏む、それが法治主義なわけですが、韓国の野党は「(弾劾が棄却された場合)たとえ憲法に基づいた決定であってもこれを(国民情緒的に)尊重するとは明言しがたい」等と結果が望むものでなければ承認しないという態度を取っています。


【社説】朴大統領側弁護士の野蛮発言、破局に向かう韓国の法治 朝鮮日報 2017/02/23 (1/2ページ) (2/2ページ
安熙正氏、「弾劾棄却の場合、判決を尊重しがたい」 東亜日報 February. 23, 2017


他にも、釜山の日本領事館前の慰安婦像はそもそも国際条約に違反する設置物であるうえに、韓国の国内法においても公共の道路に対する「違法な設置物」である事がはっきりしています。


そしてその前提に基いて、韓国政府は釜山の自治体に像の移転を申し入れたわけですが、これが世論から受け入れられず、それどころか政府から自治体への圧力と受け取られ逆にバッシングされるという事態になっています。


少女像移転求める外交部の公文書 市民団体が反発=韓国 聨合ニュース 2017/02/24
韓国外交部、地方自治体への「少女像」公文書釈明 「強要というより知恵を集める必要あるという趣旨」 中央日報 2017年02月24日


これも要するに、正しいか間違っているか(違法か合法か)という問題が善悪・優劣論と不可分であるために、この問題が法の問題ではなく「民心から目を背け、日本の立場だけ代弁する外交部は『親日外交部』だ」という善悪・優劣論として論じられた結果なわけです。


このように韓国においては、正しさとは善悪や優劣の問題の事であり、だからこそ法よりも善悪や優劣が優先され、法を超越した判断が頻繁に容認される背景があります。


2:ダブルスタンダードも容認される


このように、韓国では私達とは全く異なる「正しさの物差し」を持っており、それに基く独自の判断が行われているわけですが、この事は最近の韓国による日本への態度にもよく現れています。


たとえば最近の竹島の日の問題に関して、韓国側は竹島の日などの日本の行いは日韓関係を悪化させる挑発行為として激しく批判しています。
また日本海呼称問題においても、日本側は「日本海の単独表記が正しい」という主張をしていますが、これも韓国側は挑発行為としています。


慶尚北道知事、旧正月連休にも日本の独島妄言を批判 中央日報 2017年01月30
ことあるごとに衝突 悪循環にはまる韓日関係 聨合ニュース 2017/02/23
日本公使呼び抗議 「竹島の日」式典に政務官派遣=韓国政府 聨合ニュース 2017/02/22


では韓国側はどうかといえば、日本海ではなく東海だとする主張は韓国政府が予算をつけて頻繁に国際的に広報を行っていますし、これは竹島問題でも同じです。
また最近も、平昌五輪の公式HPで上記の主張を行い問題になっていました。


外交部「東海は最も古い名前」広報動画を公開 ハンギョレ新聞  2017.02.20
韓国の青年150人 「東海」併記目指し広報活動 聨合ニュース 2017/02/21
日本「平昌五輪HPから独島表記外せ」 中央日報 2017年01月20日
岸田日本外相、平昌五輪HPの独島表記に抗議 東亜日報 January. 21, 2017


私達の常識で考えた場合、竹島の日日本海単独表記を訴える行為などが日韓関係を悪化させる挑発行為ならば、韓国が行っている上記のような「広報活動」も同じく関係を悪化させる挑発行為に定義されるはずですので、韓国側の行っている事は単なるダブルスタンダードに見えます。


しかしこれはあくまで対等の概念を前提とし、正しさと善悪や優劣を分離できる考え方をしているからで、持論が正しいかどうかは横に置いて両者の行為を俯瞰的に比較するという作業が行われた結果です。


韓国的価値観における常識では、正しさとは善悪や優劣と等しい考え方ですので、「自分は正しい」という前提を絶対的な基準として、そこに反する行いを「悪」や「劣等」と定義するため、自分達の行いは「正しい行い」として肯定され、それに相反する行いは挑発行為として否定されます。


上記とは別の事例でも同じことが起きており、竹島の日の式典に韓国の市議が抗議に訪れ現地で揉め事を起こしたのですが、他国の政治的な行事に呼ばれてもいないのにやってきてそんな騒ぎを起こせば当然警察のご厄介になります。


独島:「竹島の日」糾弾デモの韓国議員、日本の警察に連行 朝鮮日報 2017/02/22
「竹島の日」抗議の京畿道議員、日本で2回連行 中央日報 2017年02月23日


しかも韓国の場合、2005年に竹島の日条例に反対するソウル市議が島根県庁舎にやってきたとき、市庁舎内でカッターナイフを取り出したため警官に取り押さえられたという事件が発生しているので、当然ですがその後韓国からの抗議行動は警察から警戒されています。


ソウル市議がカッター 島根県議会前 共同通信/47news 2005/03/16


にもかかわらず、韓国の大手紙ではこの警察による拘束があたかも不当な行為であるかのように報じられています。


これも同じ事で、彼らからしてみたら日本の竹島の日式典そのものが「間違った行為」であると同時に「劣等な悪」であるので、韓国人の行いはそれが何であれ「間違いを正す正義」として肯定されているため、韓国側の行いは挑発行為でもなければ問題行為でもないと解釈されているわけです。


またこれは日本が関係しない事例ですが、先日の札幌冬季アジア大会で行われた女子ショートトラック500メートルにおいて、中国の范可新選手と韓国の沈錫希(シム・ソッキ)選手が反則行為をしたとして失格となりました。


その記事を読んでみると、中国の范可新選手が沈錫希選手の袖を掴んで走行妨害をし、沈錫希選手も追い抜く場面でインピーディング(押す行為)をして双方反則をしたという事が原因である事が解ります。


しかし記事では「沈錫希選手は中国の汚い手で失格となった」としています。


ショートトラックのシム・ソッキ、中国の「汚い手」にメダル逃す 東亜日報 February. 22, 2017


なぜこんな解釈になるかといえば、記事を読む限りでは沈錫希選手は范可新選手に対して「(引っ張られた事への)仕返しとして押した」からです。


私達の常識で考えれば、仕返しであれなんであれ反撃で反則をすれば両成敗になるのは当たり前であり、これは自業自得であると解釈されるわけですが、韓国的価値観では中国の選手が反則をした時点で相手が「劣等な悪」と定義されているため、仕返しをした韓国の選手は「正しい行い=善」であると定義されます。


そのため、韓国の選手は中国の選手の「汚い手」のせいで失格になったと解釈されているわけです。


これも正しさに対する立ち位置が大幅に異なっているために発生する認識の違いの典型例です。


3:日本の常識としての正しさで韓国を判断しない


今回書いたように、日本と韓国ではそもそも根本的な部分で「正しい」という認識そのものに大きな違いがあります。


日本では状況に応じて正しさと善悪や優劣が分離して考えられるのは一般的ですし、原則的に司法の場において法を超越した善悪による判断が行われる事も、それが支持されることもありません。


しかし韓国の場合には、「正しい」という概念と善悪や優劣という概念が不可分の関係にあるため、独特の主観的な「正しさの概念」と相まって法や憲法を超越した判断すら日常的に下されています。


今回は取り上げませんでしたが、対馬の仏像盗難事件が解決しないのにもこの事が深く関係しています。
また平然とダブルスタンダードが行われるのも、そう「意図している」というよりもこの考え方に基いている場合が殆どです。


ここで重要となるのが、それが肯定的な評価であれ否定的な評価であれ、韓国に対して日本人の常識を前提とした「正しさ」を当てはめる行為は無意味であるという事です。


慰安婦合意であれ慰安婦像問題であれ、先ほどの対馬の仏像盗難事件であれ、私達の常識を前提に批判したり擁護したりしてもそれはまったくの無意味な行為です。


根本的な部分に認識の差があるため、例えば日本人の前提に立って韓国の行為は「間違っている」と批判しても、韓国人から見たら日本人のほうが非常識で「間違っている」と認識されるだけですし、逆に肯定してしまうと今度は「正しさが受け入れられた」として、更に同様の問題が増えてしまいます。


ではどうすれば良いかといえば、現在日韓の間で問題にされている事例ではその殆どにおいて国際慣例として「守るべき基準」がありますので、そこから一切逸れず例外も無くその基準に沿った対応だけをし、韓国側にもそれだけを求めていく、これしかありません。


これに関しては、どちらにせよ韓国人の常識から考えれば非常識な対応となるわけですが、少なくともそれは国際的に大筋で受け入れられている常識ですので、対外的に第三国に対して日本の立場を説明する場合には役に立ちます。


これまでの日本の問題は、それが官であれ民であれ、こうした態度が中途半端だったうえに、安易に韓国側の要求を聞きすぎてしまっていたために国際的な理解が得られなかったという背景があるわけですから、ここを修正すれば良いわけです。


ですので、例えば現在日本政府は「韓国側の対応が不十分」として、大使の帰任を今後も見合わせる公式発表を行いましたが、この態度はまさに理想的です。


駐韓大使の帰任、当面見送り 共同通信/ロイター 2017年 01月 19日


実際問題、慰安婦像の領事館前や大使館前への設置は国際条約違反であり、不法行為をしているのは韓国なのですから、その状態が改善されない限り「対抗措置をやめない」のは国際慣例として当然の権利です。


だからこそ、いくら韓国側がその件で抗議してこようと、また日本の特定のメディアがその件でバッシングしようと、それで日本の国際的な評価が下がるわけではないうえに、この措置で日本がダメージを受けることも、少なくとも現状の情勢を考えれば無いわけですから、像が移転されるまで続ければ良いのです。


日本と韓国で根本から常識が異なる以上、双方の常識に沿った態度で対応しても無意味ですので、国際社会で一般的に「通用する」とされる態度を事務的に行い続ける以外に対策は無いわけです。
少なくとも日本と韓国の場合には、それ以外の態度は問題を悪化させるだけです。



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