日韓問題(初心者向け)

日韓問題について、初心者でもわかりやすい解説と、日韓問題とマスコミ問題の動画のテキスト版を投稿しています。

韓国の世襲文化


さて、本日は韓国における「世襲」に関する内容となるのですが、ポイントは「世襲制度」ではなく「世襲文化」となっている事となります。


以前「韓国の親日派財産没収法のとんでもなさとその背景」で書いたように、韓国では現在の政治的な都合で「日本統治時代の親日行為」と認定された人々の子孫に事実上の責任が連座し、土地などの財産が没収される状態となっている。


それと同時に、韓国では同じく現在の政治的な都合で「独立有功者」と認定された人々の子孫が社会的に厚遇される制度が存在しており、事実上韓国では親日も抗日も等しくその功罪が「世襲連座する」という状態となっている。


このため、これまでこのブロマガで書いてきた「反日が終わらない理由」とはまた別に、「反日が続く理由」が実質的な世襲によって継続されている背景があり、またこれは韓国内の政治的な都合によって発生しているため、日本が何をしても終わることが無い。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:政争の一貫としての親日・抗日論争


まずはこちらから


独立有功者礼遇に関する法律(韓国語)
http://www.law.go.kr/LSW/lsSc.do?menuId=0&p1=&subMenu=1&nwYn=1&section=&tabNo=&query=%EB%8F%85%EB%A6%BD%EC%9C%A0%EA%B3%B5%EC%9E%90%EC%98%88%EC%9A%B0%EC%97%90%20%EA%B4%80%ED%95%9C%20%EB%B2%95%EB%A5%A0#undefined

第1章総則

第1条(目的)この法律は、日本(日帝)から祖国の自主独立のために貢献した独立有功者とその遺族に国が正当な待遇(禮遇)をすることにより、独立有功者とその遺族の生活の安定と福祉の向上を図ってさらに国民の愛国精神を育て民族精気(民族正氣)を瀋陽(宣揚)することを目的とする。


国家有功者等礼遇および支援に関する法律(韓国語)
http://www.law.go.kr/lsSc.do?menuId=0&p1=&subMenu=1&nwYn=1&section=&tabNo=&query=%EA%B5%AD%EA%B0%80%EC%9C%A0%EA%B3%B5%EC%9E%90%20%EB%93%B1%20%EC%98%88%EC%9A%B0%20%EB%B0%8F%20%EC%A7%80%EC%9B%90%EC%97%90%20%EA%B4%80%ED%95%9C%20%EB%B2%95%EB%A5%A0#undefined
第1章総則<改正2008.3.28。>

第1条(目的)この法律は、国のために犠牲にしたり、貢献した国家有功者、その遺族や家族を適度に礼遇(禮遇)してサポートすることにより、それらの生活の安定と福祉の向上を図り、国民の愛国精神を養うためにに資することを目的とする。<改正2011.9.15。>

第2条(待遇の基本理念)大韓民国の今日は、全国民の愛国精神をもとに戦没軍警(戰歿軍警)と戦傷軍警(戰傷軍警)をはじめとする国家有功者の犠牲と貢献の上に成し遂げられたもので、これらの犠牲と貢献が私たちと私たちの子孫に崇高な愛国精神の鑑(龜鑑)として恒久的に尊重され、その犠牲と貢献の程度に相当し、国家有功者とその遺族の栄誉(榮譽)な生活が維持・保証されるように、実質的な補償がなされるべきで。


上記は韓国の法律なのですが、読んでもらうと解るように「独立有功者」と認定されている人々に関して、その家族や遺族などに対しても社会的な優遇措置を取る事を目的としている事がわかります。


この独立有功者は韓国内で非常に大きな影響力を持っており、たとば数ヶ月前には韓国内の親北左派系などが彼らを利用し、「韓国の建国節」がいつなのかに対して揺さぶりをかける行為などが行われています。


「8・15を建国節にしてはならない」 元老愛国志士が朴大統領に直言 ハンギョレ新聞  2016.08.12


こうした行為が行われるのは、韓国建国の正当性に揺さぶりをかけるためであり、元々韓国初代大統領の李承晩はこの上海臨時政府の一派閥の長でしかなく、臨時政府内で勝手に大統領を名乗った結果追放された経緯があり、韓国としては上海理事政府をあまり前面に出されると北朝鮮の方が有利になってしまうからです。


またこのような経緯から、韓国内の親北左派は「親日認定」に非常に精力的に関わっており、例えば以前書いた親日派の子孫に対する土地などの財産没収等に関しては、元々朴正煕元大統領を親日認定する事で朴槿恵大統領に罪を連座させるという目的がありました。


「親日人物名簿」3090人を発表 中央日報 2005年08月29日
『親日人名辞典』出版、収録者数4389人 朝鮮日報 2009/11/09


他にも、韓国内では独立有功者への親日認定なども盛んに行われており、要するにこの功罪の世襲連座そのものが韓国内における政争の延長で起きている事が解ります。


金乙東議員「現政府親日子孫人物」批判 中央日報 2009年07月21日
チャン・ジヨンなど19人 独立有功者叙勲 剥奪 ハンギョレ新聞 2010.12.10

(※1)
「偽物光復軍」おびただしい ハンギョレ21(韓国語) 2005年06月22日


韓国における親日・抗日の実質的な世襲にはこのような背景があるわけですが、なぜこんなに簡単に認定が覆されたりするのかといえば、それはそもそも韓国も北朝鮮も朴殷植という人物が1920年に書いた『韓国独立運動之血史』を正史とし、この本の情報を元に「独立政府は日本の支配に激しく抵抗した」としているからです。


しかし、この『韓国独立運動之血史』は数字もいい加減で書かれている内容は大半が伝聞や風聞ばかり、客観性皆無の内容となっており、だからこそ「なんとでもこじつけられる」ものであると同時に、いくらでも否定できる代物なのです。


そこで、親北派は自身の政治的動機に都合のいい部分の矛盾点を抽出し、このように頻繁に独立有功者への親日認定を行い、韓国政府の正当性に揺さぶりをかけるわけです。


実際、韓国人作家である崔碩栄氏の著書『韓国人が書いた韓国が「反日国家」である本当の理由』によると、単に列車に石を投げて窓ガラスを割っただけの人物や、強盗、窃盗、放火、脅迫、暴行などを行い逮捕された人物が独立有功者認定されている事例が多数あるそうです。


そしてその根拠となっているのが、「保安法違反」で逮捕されたからというものであり、韓国側の理屈では「保安法で摘発されたのだから独立運動に関わっていたに違いない」という結論ありきでその子孫まで優遇される独立有功者認定がなされているのです。


当然こんな穴だらけの代物を前提に独立運動を語っているのですから、本来は独立運動そのものの正当性が疑われるはずなのですが、親北派の場合特に現在は野党であるため、政治的に都合のいい部分のみを抽出し否定する事が出来るわけです。


ただ実際には、このような経緯から親北派による親日認定も相当に杜撰で、こじつけようと思えばなんでもこじつけることが出来るような代物なのですが。


2:絶大な影響力を持つ親日・抗日認定


このように、いい加減な親日・抗日認定が行われ、それがその子孫に対してまで延々と世襲されているのが韓国の現状なのですが、親日認定されるとその子孫まで社会的に完全に破滅すると同時に、独立有功者と認定されるとその子孫は社会に絶大な影響力を持つこともできます。


その代表例が韓国の国会議員である金乙東氏です。
彼女は現在与党セヌリ党の党最高委員を務めているのですが、その祖先は日本の併合時代に独立軍将軍であった金佐鎭という人物という事になっています。


この独立軍将軍であった金佐鎭という人物、先ほども挙げた『韓国独立運動之血史』では英雄であり日本軍に対して青山里戦闘などで多大な戦果を挙げた人物とされています。


が、『韓国独立運動之血史』は先ほども書いたように客観性がまるで無く、青山里戦闘などに関しては日本軍の記録との整合性が全く取れないどころか、この戦闘で騎兵第27連隊長の加納信暉大佐が戦死しそれを戦果としているのですが、実際には加納大佐はその後も軍務記録があり、血史の記録は根本的に矛盾だらけです。


しかもこの人物、日本の国立公文書館アジア歴史資料センターに保存されている記録によると、独立運動とは名ばかりで武器も資金も常に不足しており、食うに困って盗賊まがいの事もしていたようで、最終的に「キンエイセンという人物の説得により、日本政府に農業をおこなうための援助を求めた」と書かれているのです。


○独立団首領金佐鎮等救済方ノ件 自大正十二年三月(朝鮮人ニ対スル施政関係雑件/難民救済ノ部 第一巻) アジア歴史資料センター
(レファレンスコード:B03041641200を入力すると史料を検索できます)


当然これのどこが独立有功者なのか?となりますから、実際韓国でも金完燮氏という人物(彼は日本の一部で親日とされていますが、実際には用日論者です)が金佐鎭の功績に疑問を投げかけたところ、名誉棄損で告訴され罰金を支払わされた上に、パスポートの更新を受け付けてもらえなくなり事実上の国内軟禁状態にされてしまいました。


(※2)
[単独]金乙東"金完燮、売国の対価払わなければならないだろう」...ソウル中央地検に告訴 Yahoo!Koreaニュース(韓国語) 2006.02.25


金完燮氏の場合には、北朝鮮も戦果として認めている青山里戦闘などを客観的に検証したため、親北派からも支援されなかった背景もあり、韓国内ではそもそもこうした問題は政治的意図以外では完全にタブー視されているのです。


韓国内では原則的にこの問題そのものは検証を許されず、政治的に都合の良いときだけ検証ではなくレッテル貼りとして親日認定ができるだけですから、政争利用さえされなければ独立有功者とその子孫は特権階級としての将来を約束されているという事でもあります。


実際、金乙東議員は抗日英雄の子孫としての影響力を利用し、(日本人から見た)反日を頻繁に煽っており、去年も「日本から対馬を取り戻せ」と国民を煽っていました。


韓国与党幹部「対馬を取り返すために立ち上がるべき」 朝鮮日報 2015/07/23


韓国では、このように世襲によって大きな特権を得た人物が、自身の功績とするために政治的な扇動を行っている場合も多いのです。


また逆に、親日認定を受けるとその子供までもかなり悲惨な事になります。


以前も書いたように、財産権すら保障されない状態になるいわゆる「日本統治時代の行いで親日派認定を受けた人々とその子孫」以外でも、親北系から敵視されている政治団体に親が関わっているというだけで、その子供が親日派の子供としてバッシングを受けた事例があるのです。


[オピニオン]エクソのリーダーへの「親日派狩」  東亜日報 NOVEMBER 14, 2014


韓国では、このように血筋で功罪が継承され厚遇されたり冷遇されたりが日常的に発生しているのです。


3:韓国では功罪が血縁で継承される


今回書いたように、韓国においては血縁によってその祖先の功罪が子供や孫にまで継承されることが一般的であり、対日本に関してもこの韓国内における政争や世襲からくる反日の影響が非常に強いのです。


このことには、以前記事を書いた「恨(ハン)」の影響が強く、恨には「終わりが無い」ため、恨をいつまでも継承させていくために功罪が世襲連座されるとも表現できます。


そしてこの事から、韓国における反日は完全に韓国国内の事情によって発生しているものであると同時に、そうした制度があるわけではなく、韓国社会の文化的背景による慣習や政争が韓国の対日観などに影響を与えた結果だという事が解ります。


ですから、当然日本が何かすればそれで終わるというものではないですし、文化的背景に根ざした慣習である以上、韓国社会が根本から変わらない限りこの世襲は今後もずっと続いていき、日本への様々な要求も「世襲した子孫たち」によって延々と続くのです。


本質的には、セウォル号事故の被害者の家族などがその後の就職や進学で優遇措置を与えられたり、韓国の大手財閥の労組の子弟が就職で優遇されるなどの事例と同じです。
韓国ではこれが常識なのです。


日本人のように「これで手打ち」という概念そのものが無く、根本から発想が異なっているとも言えるでしょう。


慰安婦問題やその他様々な戦後補償問題に関しても同じで、功罪が延々とその子孫に世襲されていく文化が根本から変わらない限り、日本側が何をしようと韓国が「止める」事はないのです。


つまり、韓国側が「謝れ」と言って来たからと素直に謝った場合、日本人的発想ですとそれで「手打ち」ですが、韓国人的発想では謝罪して過ちを認めた時点で、その「謝らなければいけない状態」が半永久的にその子孫にも延々と適用され続けるわけです。


慰安婦合意における一連の韓国側の反応も要するにそういうことです、日本側からしてみたら不可逆的な合意をしたのだからそれで終わりと考えますが、韓国側にとってはそうではないのです。


ですからなおの事、日本は韓国と関わる場合国際的に通用する常識以上のことを、日本の常識に当てはめて韓国に対して行うべきではないのです。


繰り返しになりますが、韓国社会においては「功罪の世襲連座」が政争と文化的背景により当たり前のことなのですから。



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(※1)
「偽物光復軍」おびただしい
ハンギョレ21(韓国語) 2005年06月22日
http://legacy.h21.hani.co.kr/section-021005000/2005/06/021005000200506220565079.html
公的疑われる55人調査した国家報勲処の内部文書と議事録を入手
44人の活動の事実単一行もなく解放六後入隊した離島
(中略)
<ハンギョレ21>が入手した国家報勲処の内部文書「光復軍服務事実確認」(1991年12月)を見ると、数十人の光復軍が国家報勲処が定めた叙勲基準に満たない「適格」であることを知ることができる。 この記事は、報勲処が独立有功者に授与する建国勲章の等級を大韓民国チャン・大統領チャン・独立章(建国包装と大統領表彰は、建国勲章に該当しない)の3段階で大韓民国章・大統領チャン・独立章・愛国チャン・愛族章5段階に分けること骨子とした、1990年賞勳法改正以降に作成されたものである。 報勲処は賞勳法改正以降、既存の大統領表彰・建国包装叙勲者を愛国章と愛族章で評価を上方た。 この過程で公的内容が釈然としない55人を対象に調査を行い、、これを文書に残した。 文書は、光復軍55人△個人情報△本人の主張(本人が主張する公的内容)△本人提出(証明資料)△確認要望などを含んでいる。

「入隊日不詳、入隊パスはデータなし"

名簿に名前が上がった人々は誰か。 <ハンギョレ21>の追跡が始まった。 国家報勲処が1988年に発行した「独立有功者手柄ロック>(5巻・臨時政府と光復軍)を見ていた取材陣の目に名前と叙勲の事実はあるが、公的内容が1行のみでもない」白紙」光復軍(53人)の名前が​​入ってきた。 リストを対照してみると、文書に名前が上がった44人が「白紙」光復軍と一致した。 公的内容なしどのよう叙勲が可能だろうか。 国家報勲処の関係者は、「その時は文部と、州務が業務を担当した」とし「わからない」と述べた。

文書をドゥルチュジャ報勲処と光復会が隠したいした内容があふれ出始めた。 1963年に大統領表彰を叙勲されたグォンヨウン○の場合、光復軍入隊日は1945年8月19日である。 解放を迎えた1945年8月15日より4日遅れて入隊したわけだ。 金東○の入隊日は1945年8月21日であり、金一○と前○は光復軍3地帯に入隊したという事実を主張するだけで、これを裏付ける資料や入隊日を覚えていなかった。 その文書には、「年月日不詳光復軍3地帯入隊」とだけ書かれている。 キムジョン○、この映画○は本人の主張には、1945年6月に入隊したが、どこでどのような経路を介して入隊したのかと立証資料を提示できなかった。 このほか、ほとんどの叙勲者が建国勲章の最も低い等級の愛国章叙勲基準である「光復軍入隊活動6ヶ月」の基準点である1945年2月15日以降入隊者たちであった。 国家報勲処が1990年定めた「独立有功者賞実務」を見ると、光復軍の場合、5等級「愛族章」以上の評価を受ける6ヶ月以上抗日活動をしなければならない。

ほとんどの建国勲章と大統領表彰者の評価が上方修正されたために比べ、文書に名前が上がった55人のうち4人(1人は確認不可)を引いた50人の評価が存置された。 文書に名前が上がった人々の中には、「1941年から光復軍に加担した」は、離島いる。 彼らの主張が事実なら、愛国章や愛族章叙勲が可能である。 報勲処の関係者は、「調査の結果、彼らの叙勲評価を上方できないままノァドォトダ」と述べた。 叙勲の問題があることを間接的に認めたわけだ。

光復軍出身の一人は、「偽の議論で最も多く取り上げられている人々は、光復軍3地帯出身」と述べた。 総司令部がある重慶にあった1地帯やシアンに拠点を置く2地帯とは異なり、3地帯は本部から遠く離れた安徽省阜陽に本部を置いて本部の直接制御が困難であった。 光復会の幹部出身の一人は、「叙勲初期に光復軍に少しでも身を置いた人がお前なしで3支隊長だったキム・ハクギュ将軍に集まり、お互いイヌ保証をしながら叙勲を受けた」とし「そのような人々の中に偽や資格未達者が多い」と述べた。 文書に名前が上がった54人のうち3地帯出身は41人、文書だけではどこで活動していることを確認が不可能な人は7人だった。 残りは1、2地帯と土のシフトなどが1〜2人ずつ均等に混ざっている。 接触した光復軍出身者は「何を言って分からない」とそれぞれ手で遮った。 光復会は<ハンギョレ21>の再三のインタビュー要請を拒否した。
(後略)