日韓問題(初心者向け)

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ソメイヨシノ韓国起源説問題まとめ(前編)


さて、本日はちょっと特殊です。
以前から考えていた事なのですが、このブロマガにおいてソメイヨシノ韓国起源説は一つのテーマとしては最も記事数が多く、また毎年書いている内容ではあるのですが、毎回最新の記事を元に場当たり的に書いていたため、「これを読めば全容がわかる」という記事がありませんでした。


そこで、前・後編二つの記事にまとめるためかなり大雑把になってしまいますが、ソメイヨシノ韓国起源説の概要から問題点まで、「これを読めば大体全容は把握できる」内容を書き、この記事を「お勧め記事マイリスト」に登録します。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはウェブアーカイブウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:問題の概要及び基礎知識


まず問題の概要についてなのですが、韓国の済州島には「王桜」と呼ばれるエドヒガン系とヤマザクラorオオヤマザクラの自然交配種の桜が存在しており、韓国では公的に王桜と日本のソメイヨシノは同じ種であるという事になっています。


また王桜の学名に、ソメイヨシノと同じPrunus(Cerasus) × yedoensisを公的に使用しており、意図的に混同させるようにしています。


そして、ソメイヨシノに王桜と同じ「왕 벚나무(ワンボンナム)」という呼称を充てており、日本語で「ソメイヨシノと王桜は別種だ、ソメイヨシノは日本で作られた交配種だ」と指摘しても、韓国語に翻訳される過程で「王桜と王桜は別種だ、王桜は日本で作られた交配種だ」という意味不明の文章になってしまいます。
そしてこの事は韓国が官民あげてソメイヨシノ韓国起源説を行っていると言う確固たる証拠です。


また韓国はソメイヨシノについて「元々は韓国の花だったが、日本統治時代の文化抹殺政策によって日本に奪われ、日本の花という事にされてしまった」としています。


つまり、ソメイヨシノは元々韓国のものであると、そして当然現在世界中に存在する桜並木も本来は全て韓国のもののはずである、彼らの主張は大雑把に書くとこんな内容になります。


例えば以下の記事のように

[世上万事]桜花遊び(花見)に盛りこめられた胸が痛む歴史
KoreaDaily/中央日報(韓国語) 2016/03/15
http://www.koreadaily.com/news/read.asp?art_id=4094231

毎年3月中旬になるとワシントンDCの桜祭りを楽しむために、米国全域はもちろん、世界各地から百万を超える観光客が寄り集う。ワシントンの年間観光収入の30%を占める目玉行事であるわけだ。

桜祭りを訪れる多くの観光客はこの桜が日本のものと信じている。
日本政府が米国に寄贈したのが百年という時間が経つに従い繁栄したためだ。

しかし、この桜の原産地が日本ではなく韓国という事実を知っている人は多くない。韓国山林庁林業研究院がDCの桜の遺伝子を分析した結果、済州島漢拏山で自生する王桜から由来されたという事実を明らかにした。

また、韓人も多く訪れているこの祭りは、私たちがよく知らない胸が痛む歴史が盛り込まれているという部分がある。DCに桜がはじめて入ってきた時期は1912年にさかのぼる。

1905年に結んだ日本の朝鮮支配を認めてくれた桂-タフト密約を結んだ時、背後で大きな影響力を行使したウィリアム・タフト大統領の妻ヘレン・タフトのためのプレゼントで日本政府が贈ったのが起源だ。

ヘレン・タフトが日本を訪問した際、満開の桜を見て感嘆すると、彼女がファーストレディになった1912年、日本側が感謝の意として3020本の桜の木を伝えたのが、今日に至っている。

彼らの言葉通り、韓国を侵略するため米国政府に「賄賂」として渡したのが、この桜だ。観光客にとっては華やかで美しい花で見て楽しむという見所であるが、韓国人にとっては国を失わせた民族の恨が潜む花でもある。

近い時期に、日本は朝鮮王朝を抹殺しようとする意図で1907年から昌慶宮内の建物を取り壊して王宮を苑に格下げし、動植物園にしてしまった。 そして、丘と庭には彼らの象徴である桜の木をいっぱい植えた。朝鮮王朝最後の王である純宗が民たちが気軽に来て鑑賞するよう宮を苑に下げたというが、実際には日帝の政策に屈服して始まった恥ずべき歴史の断面であることは明らかだ。

現在の年齢が60代以上であれば、頭の中に思い浮かぶれる小学校時代満開の桜を見に行った春の遠足の場所であり、若い恋人たちには思い出のデートスポットであり、田舎の人には華やかな夜桜の場所に記憶れたところでもある。 このすべてが見事に咲いた桜の花と一緒にいた過去の思い出である。

皮肉にも桜祭りが3.1運動が起きた3月にピークを迎えるということだ。 天安にあるアウネ市場では奪われた国を取り戻す独立運動を開始した意味深い月だったが、ここワシントンDCではその国を奪うため、賄賂として渡した桜が根を下ろし始めた月でもあったのだ。日本が桜を植えた別の本音には世界政治の心臓部であるワシントンの真っただ中で自国の魂を植えつけるという政治的な野心も隠れていた。

未だ、慰安婦問題を正当化し、独島を自国の領土と主張しながら、過去に犯した蛮行を反省せずに稚拙な外交を継続している日本だ。

今は華やかな姿で祭りの主人公となってポトマックの川沿いを美しく彩る桜。人々の心を平和で楽しませる自然の風景を眺めながら、一本の花木を政治的な目的で利用して隣国に害を及ぼす異なる表裏があることが見る人の心を痛める。

このような歴史的な背景を考えれば、桜祭りがただ楽しい気分で近づくだけではない。


そしてこの主張なのですが、「一部のおかしな人が言っているだけ」というものではなく、韓国政府、韓国の大手メディア、学者、自治体、宗教団体、在外韓国人団体等が組織として関わり大々的に推進している官民挙げての一大事業であり、多くの韓国人が関わった組織的な文化窃盗・剽窃問題なのです。


次に彼らの主張なのですが、大きく分けて2種類存在しています。


ソメイヨシノは王桜のことであり、世界で唯一のソメイヨシノの自生地は済州島であるとする自生説。
この説には、王桜の苗木一つが日本へと持ち込まれ、栽培品種として接木によって増えたものがソメイヨシノであるとする亜種も存在します。


ソメイヨシノは、日本に持ち込まれた王桜を日本の品種(オオシマザクラ等)と交配して出来上がった種であるとする交配種説。


ここで重要となるのが、一時期は自生説が主流であったため日本では自生説の知名度が高いのですが、実際にはこのように亜種や交配種説も存在しており、反論として「ソメイヨシノは自生しない」というだけでは「足りない」という事になります。


また今年に入り、後編で詳しく書きますがこの自生説と交配種説を繋げたような説が登場してきており、恐らく今後この説が韓国で主流となって行くであろう事が予測されます。


そしてもう一つ重要なこととして、韓国側は日本側から彼らの主張の矛盾点を指摘されるたびに次々と新たな「定説」を生み出しているため、恐らく今後暫らくは上記の説が韓国で主流となって行くでしょうが、それも一時的なものでしかなくいずれ新たな説や亜種が登場するでしょうし、ここで紹介した以外の説も多数存在しています。


韓国は非常に特異な価値観や考え方をする社会であり、根拠を重要視しない考え方が一般的であるため、多数の人が自身の考える「かくあるべき姿」を好き勝手に語る傾向にあるので、説同士が対立したり矛盾したりする事もよくある事なのです。


参照
韓国では「仮定の話」が「事実」として成り立つ


2:ソメイヨシノの歴史と基礎知識


次にソメイヨシノにどんな歴史があるのかについて書いて行きます。


これを知る事は非常に重要です。
なぜなのかといえば、韓国起源説というと韓国側の主張の間違いを指摘することばかりに注目しがちですが、先ほども書いたように韓国起源説は韓国内で同一の文化や人・物に関する起源説でも複数ある事が一般的であり、またその亜種も含めると膨大な数になる場合があります。


そして、この説や亜種の数は「韓国内の知名度」に比例して増えていく傾向にあり、ソメイヨシノ韓国起源説のように多くの韓国人が知っており支持している起源主張になると、その説や説の亜種の数も膨大でとても全容を把握できるようなものではなくなります。


ですから個別の起源主張への突っ込みも勿論重要ですが、それ以上に「ソメイヨシノの成り立ちの歴史」を知ることが最も重要なのです。


ソメイヨシノ韓国起源説に限りませんが、韓国側が起源を主張するものの大半は学術的にその成り立ちや歴史がはっきりしているものが大部分です。


ですから韓国側に対する反論※としてもっとも有効な手段は、この学術的に客観性が証明されている「本来の歴史」をベースにする事が最も効果的です、当然ことですが彼らの主張はこれら客観的根拠とは確実に矛盾するからです。


※一般的には韓国人に対して私達の常識で根拠を提示し反論しても無意味ですが、反論をしたやり取りや過程を第三者に見せる事に意味があります。
後編で詳しく書きますが、この手の起源論争は往々にして第三者から「どっちもどっち」ととられることが多く、その主な原因は「韓国側がどのような主張をしているのか」を具体的に知らないからです。

ですので、直接的には無駄と解っていても「こんなやり取りがあった」と第三者に伝えるために韓国側への反論はある程度必要となってきます。
ただし、これをやるには韓国人のロジックをある程度知っていないとただの水掛け論になってしまいますので、その点だけ注意が必要です。



ではまずソメイヨシノの歴史について


ソメイヨシノの歴史

1720~1735年頃 江戸の染井村(現東京都豊島区駒込)において、植木屋の伊藤伊兵衛政武が、エドヒガン系の桜とオオシマザクラヤマザクラの自然交配種を交配させ、その中からできた木のうち最も見栄えのよかったものを、当時桜の名所だった奈良の吉野山から名前を取り「吉野桜」と命名して売り出す。

1900年 博物学者の藤野寄命の調査により、「吉野桜」が奈良の吉野山にあるヤマザクラとは別種であると学術的に判明、混乱を避ける為に新たに「染井吉野」と命名される。
(当時から「吉野桜」が染井村発祥であることは知られていた)

1901年 植物学者の松村任三により、染井吉野の学名がCerasus(Prunus) × yedoensis (Matsum.) A.V.Vassil. ‘Somei-yoshino’と命名される

1916年 イギリス出身でアメリカの植物学者であったアーネスト・ヘンリー・ウィルソンにより、ソメイヨシノエドヒガンとオオシマザクラが伊豆諸島で自然交雑して誕生した種であるとの説と、エドヒガンとオオシマザクラの交雑種ではなく、独立した種であるとの説が提唱される
(ちなみに伊豆諸島での自然交雑種説は、伊豆諸島におけるオオシマザクラエドヒガンの群生地が離れすぎている事からすぐに否定されている)

1932年 植物学者の小泉源一により朝鮮の済州島にある王桜とソメイヨシノの類似性が主張されるが、採取サンプルの不備や王桜にオオシマザクラの特徴が存在しない事などからすぐに否定される

1965年 国立遺伝学研究所の竹中要によるエドヒガンとオオシマザクラの人工交配による再現実験により、形質がソメイヨシノとほぼ差の無い桜(イズヨシノ)が誕生したため、ウィルソンの独立種説は成り立たない事が証明される

1995年 京都大学農学部の印南秀樹(現総合研究大学院大学の准教授)らが、DNAフィンガープリント法によりソメイヨシノの遺伝子解析を試み、ソメイヨシノがクローンであることとエドヒガンとオオシマザクラを親に持つことが遺伝子学的にも確定する
※参照
DNAフィンガープリティングによる,ソメイヨシノ(Prunusyedoensis)の種内変異とその起源に関する研究
http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010522351.pdf

2007年3月 千葉大学の中村郁郎・静岡大学の太田智などの研究グループが、ソメイヨシノは「コマツオトメのようなエドヒガン系品種を母親に、オオシマザクラを父親として誕生したとの説を発表

2012年 千葉大の研究チームにより、北関東のエドヒガン系種がソメイヨシノの母親と推定され、コマツオトメはソメイヨシノの母親ではなく近縁にとどまることを発表

2014年1月 首都大学加藤珠理らによって、ソメイヨシノの遺伝子交配割合がエドヒガン47%、オオシマザクラ37%、ヤマザクラ11%、その他5%であることが発表される

同年 上記共同研究者の森林総合研究所勝木俊雄らによって、ソメイヨシノエドヒガン系の桜とオオシマザクラヤマザクラの交配種であることが発表される

2015年 千葉大学大学院園芸学研究科中村郁郎らによって、ソメイヨシノクローンの原木候補として最も有力な木を、上野公園(旧寛永寺の正門跡地)で発見したと発表、これによりソメイヨシノエドヒガン系とオオシマザクラ系の人工交配種(現在でも人工交配なのか自然交配なのかは論争となっている)であることと、作成者が染井村の植木屋伊藤伊兵衛政武であったことを裏付ける結果となっている


このように、ソメイヨシノは昔から様々な研究がされており、現在ではソメイヨシノの遺伝子配分がエドヒガン47%、オオシマザクラ37%、ヤマザクラ11%、その他5%であるということまで判明しているのです。


そして後編で重要となるので覚えておいて欲しいのですが、エドヒガンもヤマザクラも日本では紀元前から存在している自生種であるという事と、オオシマザクラは自生種であると共に日本固有種であるという事です。


次に、最初に引用した中央日報の記事で言及されている「ワシントンDCの桜は韓国の王桜」という説に関連し、本来の「ワシントンDCへの植樹経緯」を年表にしたものを紹介します。


ワシントンの桜並木の経緯

1885年 ナショナルジオグラフィック協会初の女性理事であったエリザ・シドモアが日本からの帰国後、ポトマック川河畔沿いに桜の木を植えることを提案し、その後24年間に及ぶ植樹運動が始まる

1905年 日本人科学者高峰譲吉と駐ニューヨーク日本総領事水野幸吉から植樹運動を知らされた尾崎東京市長により、日本でも桜寄贈運動が始まる

1909年 シドモアが当時の大統領夫人ヘレン・タフトに桜の植樹運動への協力を呼びかける手紙を送る

1909年8月 東京市会で桜の寄贈を決定

1909年11月24日 2000本の苗木が横浜から出航

1909年12月10日 シアトルに到着、検疫で病害虫が確認され焼却処分

1909年12月~1910年3月頃 東京品川の「妙華園」当主河瀬春太郎が中心となり荒川堤の穂木の選別が行われる

1910年3月 東京市農商務省農事試験場長の古在由直農学博士に害虫の駆除や苗木づくりの方法について調査依頼

1910年5月 古在博士が植木の栽培が盛んだった兵庫県川辺郡稲野村之内新田中野村字東野(現伊丹市)の久保武兵衛に寄贈用の台木を発注

1910年12月 3人の技師の指導で育てられた東野の台木苗15000本が静岡県にある興津園芸試験場へ送られる

1911年2月  興津園芸試験場に植えられていた東野村の台木苗と荒川堤の穂木苗で接ぎ木が始まる(興津の記録では10,050本の台木に接木)

1911年12月 桑名技師の考案したガス薫蒸室での消毒後再度仮植え

1912年2月14日 横浜港より桜苗木6040本を積んだ「阿波丸」が出航

1912年3月26日 苗木がシアトルを経てワシントンに到着、アメリカ農務省と昆虫局長のハワード博士により病害虫が一切無い事を確認

1912年3月27日 ポトマック公園でヘレン・タフト大統領夫人と珍田日本大使夫人参加で植樹式

1981年 戦時中の伐採と戦後の公害により消滅した荒川堤の五色桜が、レーガン大統領の呼びかけでワシントン市の協力を得て「桜の里帰り」(35種約3000本の苗木が送られる)により復興



このように、ワシントンDCの桜並木の桜は、いつ、どこで、だれが、どのようにしてが全て明確に記録として残っており、これを知っておく事も重要です。


次に日本における桜文化に付いても少々言及を。
日本でも古代においては中国と同じで梅を愛でる文化が主流であったのですが、7世紀頃より桜を愛でる内容に言及した文献などが登場し、その後国風文化の成り立ちと共に桜を愛でる文化が主流となっていったという経緯があります。


そのため、大伴家持が編纂したとされている万葉集(7世紀から8世紀にかけての和歌を集めた歌集)には桜を題材とした物が多数あります。


藥師張氏福子
梅の花、咲きて散りなば、桜花、継ぎて咲くべく、なりにてあらずや
天平2年(730年)大宰帥大伴旅人宅での梅花の宴に列席して詠まれた和歌

山部赤人
生年不詳~天平8年(736年)
あしひきの山桜花、日並べて、かく咲きたらば、いと恋ひめやも

藤原広嗣
生年不詳~天平12年(740年)11月24日
この花の一節(ひとよ)のうちに、百種(ももくさ)の、言ぞ隠れる、おほろかにすな

高橋虫麻呂
我が行きは、七日は過ぎじ、龍田彦、ゆめこの花を、風にな散
暇あらば、なづさひ渡り、向つ峰の、桜の花も、折らましものを
734~735年頃の作品

大伴家持(718頃~785年)
龍田山、見つつ越え来し、桜花、散りか過ぎなむ、我が帰るとに
平勝宝7年(755年)2月17日に大伴家持(おおとものやかもち)が平城京(へいじょうきょう)から難波(なにわ)に行った時に詠んだ歌です。


また、平安時代までは桜を愛でる文化は貴族社会特有のものでしたが、戦国時代に入るとこれが武家社会でも一般化、豊臣秀吉は奈良の吉野山において現代の花見文化に近い大規模な花見を行った記録が残っており、これが現在の花見文化の直接的な出発点となります。


そして、江戸時代に入るとこの花見文化が庶民にも普及、当初は規制しようとしていた幕府も後に態度を変え、むしろ庶民に対して花見のできる土地を解放し花見を推奨するようになり、これが現在まで続く日本の花見の基本スタイルを決定します。


その後明治時代になると、一斉に咲き一斉に散る姿が美しいソメイヨシノの植樹が政府により推奨され、桜といえばソメイヨシノという風潮が出来上がっていきます。
こうして現在の日本における桜文化が出来上がったわけです。


3:なぜ韓国はソメイヨシノの起源を主張するのか


「なぜ韓国はソメイヨシノの起源を主張したがるのか」この動機を知ることもきわめて重要です。


まず最も大きな要因はズバリ「世界的に評価されているから」です。
以前別の記事で言及した事がありますが、一般的な韓国人は自己の評価基準を外部の評価に依存する傾向があり、逆に自己の中に評価基準をもっていない場合が多いです。


ですから、自身や自国内の評価よりも世界的に評価された物という権威に絶対的な価値を置いているのです。


参照
韓国社会では他者との違い=優劣という構図が存在する


そしてこの価値観が以下に説明する価値観と合わさり起源主張へと繋がります。


これはソメイヨシノの件に限らず韓国起源説全般に言える事なのですが、韓国では「日本の文化は全て朝鮮が教えたもの」「日本の文化は全て朝鮮の文化の劣化コピー」という考えが主流であり、韓国では子供の頃から学校や家庭でそう教えられて育ちます。


これに関連し、去年韓国の首相が日本に対して「日本の起源は百済である事を認めろ」と公式に要求してきた事があり、この事からも韓国においてこの考えが一般的である事が解ります。
韓国起源説とは、この考えがベースに存在するものであり、決して「一部のおかしな人の主張」とか「政治家が人気取りでやっているだけ」という軽いものではないのです。


韓国首相「日本の起源は百済…日本の歴史歪曲、絶対許せない」(1) (2) 中央日報 2015年04月10日


また他にも、韓国では「日本統治時代に日本は朝鮮文化の抹殺政策を行った」という考えが学校で教育されており、そこからの派生として「日本は文化抹殺政策によって朝鮮文化を奪い取り日本の文化という事にしてしまった」との考え方も一般的です。


【時論】何が創造経済の足かせなのか?=韓国(1) (2) 中央日報 2014年02月27日


この考え方によって、日本の桜が世界的に評価されると彼らは「日本が朝鮮文化を自分たちの文化として嘘をつき不当に世界から賞賛されている」と考える傾向にあり、また「本来その賞賛は自分達が受けるべきものだ」と考え起源を主張するのです。


また他にも理由があります。
韓国では「被害者が最も偉い」という独特な価値観が存在しており、徹底した序列社会であり対等の概念が希薄な韓国では、「どちらが上か下か」が人間関係において最も重要なのですが、被害者になる事で実質的に上位の存在になる事ができます。


参照
韓国では被害者が一番偉い



これは韓国独特の価値観である「他者の劣等性を担保として自己の優越性や正しさ証明する」という価値観と深く関係しており、韓国では自身が相手より優れている事を証明する手段が相手の劣等さを証明することであり、「いかに相手が劣等であるか」を彼らの主観で立証できれば、それで自身は上位の存在になれるのです。


参照
韓国人が日本人から嫌われる根本的原因


被害者が存在するということは加害者が存在するということでもありますから、韓国的価値観では加害者の劣等性を指摘できれば、被害者となった存在はそれで上位の存在になれるというわけです。


ソメイヨシノ韓国起源説の場合も同じであり、先ほど書いたように彼らは元々ソメイヨシノは王桜のことであり、日本は日本統治時代の文化抹殺政策によって朝鮮の桜を奪ったという事になっています。


つまり、彼らの価値観ではこれで日本の劣等性が証明されていますから、同時に韓国人は日本人より上位の存在となれますし、また彼らの中では日本が奪ったという「日本の劣等性」が証明されることで、自分達の主張の正しさもまた証明されているのです。


更に他にもこれに関係した考え方があり、韓国では「日本の桜は軍国主義の象徴であり、過去を美化して加害者としての歴史を消してしまおうとしている」という考え方が広く普及しています。


【コラム】国際刑事裁判所に桜を植えて歴史洗浄を狙う日本 朝鮮日報 2015/07/14

(※1)
<記者手帳>'靖国サクラ'に酔っぱらった日本人…背筋が寒くなった歴史は忘れたか 聯合ニュース(韓国語) 2016/04/02


つまり韓国人からしてみると、日本が加害者の歴史(劣等さ)を隠して序列を上げたために、桜を日本のものとして世界中に宣伝し植樹活動をしている、というように見えているのです。


そもそもこの考え方そのものが韓国独特の価値観から来る物であり、日本からしてみれば濡れ衣も良いところなのですが、韓国人は自分達の価値観が世界標準であると考える傾向にあるので、尚更「日本といえば桜」というイメージが世界的に広がっている事が許せないのです。


韓国が官民挙げてソメイヨシノの起源主張を大規模に行う背景には、このように彼ら独特の価値観が深く関係しているわけです。
そしてだからこそ、私達とは決して相容れないという事でもあります。


今回は以上となります。
予想以上に書く内容が多くなってしまいましたので、残りは次の記事で後編として書く事とします。


後編
ソメイヨシノ韓国起源説問題まとめ(後編)




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(※1)
<記者手帳>'靖国サクラ'に酔っぱらった日本人…背筋が寒くなった歴史は忘れたか
聯合ニュース(韓国語) 2016/04/02
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2016/04/02/0200000000AKR20160402027300073.HTML

(東京=聯合ニュース)イ・セウォン特派員=「靖国のサクラが特に変わっているとは思いません。」靖国神社に桜見物にきた30代初めの日本人男性は「戦争の時、靖国神社と桜の花が軍国主義を宣伝する材料だった」という分析を記者が紹介するとすぐにこのように反応した。

桜の花がぱっと開いた1日まで数回、太平洋戦争のA級戦犯が合祀された東京靖国神社を訪ねて花と酒に酔った日本人に会うことができた。彼らは侵略の歴史を薄める現場であり右翼史観の中心地と批判される場所で格別な抵抗感なしに花見を楽しんでいるようだった。駐車場には旅行会社のバスが待機しており旗を掲げた引率者について団体訪問した人々もあちこちで眼に触れた。
(中略)
軍と靖国神社の格別の関係を見せる境内には関東軍第5軍司令部生存者会などが植えた記念樹など日本軍と関連する桜が結構あった。靖国神社で会った若い男性にこういう分析を聞かせると「年齢の高い人々はそんなことに気を遣うかもしれない」と話した。彼は桜の花を楽しみにきただけで、靖国神社も他の神社と同じだという考えを明らかにした。1936年生まれだと自己紹介した男性にこういう説明と共に意見を訊くと「そんな古臭い話をどうやって知ったのか」という反応を見せた。

戦犯を合祀した場所にきて花を見物し酒に酔って楽しむ間に戦争が産んだ残酷さを人々が忘れるのではないかと訊ねると「それは話が違う」と答えた。彼は桜が多い靖国神社は日本人にとってすでに東京の代表的なお花見場所になったと評価した。彼は久しぶりに靖国に花見にきたついでに英霊らに「礼を示した」として参拝事実を隠そうともしなかった。

もちろん靖国神社に花見にくる皆が侵略戦争A級戦犯崇拝に賛成する人々だと言い切ることはできなかった。多くの人々はただ桜の花が有名だから訪ねてくるので、それと共に靖国神社を東京の'名所'と自然に認識することになると見られた。しかし、訪問者は桜の花だけ見に行くのではなかった。参拝は日常茶飯事で神社内の戦争博物館である遊就館で特攻隊の自殺攻撃にも使われた「零式艦上戦闘機(別名ゼロ戦)」等を見物する。

1日は平日だったが、洋服を着て午前から靖国神社境内に一人で席を敷いて横になっている会社員もいた。彼は会社が夕方に団体で花見をする計画なので上司の指示で朝から席を占めに来ていると説明した。同じ理由で午前7時に神社に来たと明らかにしたおよそ1年目の会社員は「靖国神社なので抵抗感を感じる人はいるかもしれないが、会社の仕事だから特別に不満を言ったりはしないだろう」と反応した。この様な状況にぶつかった彼らは他の選択をしたり歴史を悩む機会なしに靖国神社を単なる花見の名所として受け入れる可能性がある。

靖国神社は花見客に寛大だった。境内にゴミが積もったり飲酒者が歩き回ること自体を問題にすることはなかった。ただし、参拝場所に隣接した一部領域での飲酒会食などは制限した。靖国神社としては花見が人々の警戒心をなくす大変良い機会であるわけだ。日本軍で徴用されて戦死した父の名前を合祀者名簿から抜いてくれと、何年か前に訪ねてきた韓国人遺族に神社側が'参拝するつもりがないならば入ることはできない'と門前払いしたこととは克明に対比される光景だった。

桜の花を見て靖国神社に対する親しみを増した日本人は侵略と植民地支配を体験した国家がなぜ参拝に抗議するのか、ますます理解できなくなることを憂慮しないわけにはいかなかった。